長崎の古写真考 目録番号:5337 お茶の梱包(2)

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5337 お茶の梱包(2)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:5337 お茶の梱包(2)

■ 確認結果

目録番号:5337「お茶の梱包(2)」は、上野彦馬撮影。アルバムの作品の続きから「撮影地域:長崎」となるだろう。長崎大学附属図書館もそのように判定している。
長崎新聞HP「龍〜なが」から長崎新聞2010年12月5日記事は次のとおり。

龍馬動く 関連企画 (2010年12月5日更新)   長崎新聞
長崎遠めがね 古写真に見る町と人 長崎大付属図書館協力・46 お茶の梱包

幕末には輸出品トップ

長崎から初めてお茶が輸出されたのは、1856(安政3)年のことである。長崎の油商の家に生まれた大浦慶が、イギリスの商人オルトの注文をうけ、嬉野などから大量のお茶を集めてアメリカに輸出したのが最初である。
66(慶応2)年には、当時、長崎で最大の輸出品であった海産物を抜いて、輸出品の第1位を占めるようになった。このころから明治にかけて、大浦居留地にはグラバーやオルトなどが大規模な製茶工場を建て、何百人もの人が、乾燥や箱詰めの作業に当たっていた。
(長崎大付属図書館長・柴多一雄)