長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 762 長崎市街の中心と梅香崎居留地
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号: 762 長崎市街の中心と梅香崎居留地
〔画像解説〕
風頭山から長崎市街地南部を撮影した写真である。梅香崎、新地蔵から出島にかけての海岸部と長崎市市街地の中心部が撮影されている。この写真の重要な点は、梅香崎居留地の埋め立て途中が撮影されている点である。大浦居留地に連続して、梅香崎居留地の造成が終わったところである。その右の長い屋根が見える部分が新地蔵の倉庫群である。新地蔵の右に中島川の河口が見えている。中島川の右岸が築町の突端で、その右側の湾曲した倉庫群が出島である。幕末の出島が、背後から撮影されている。右端の松の木が茂った高台が、長崎奉行所の西役所である。中島川の沿線、鍛冶屋町の通り、本籠町から唐人屋敷にかけての町並みが見える。鮮明な写真であるために、詳しく調べれば、幕末における長崎市街地中心部の建物一軒一軒が特定できる。
■ 確認結果
目録番号: 762「長崎市街の中心と梅香崎居留地」は、F・ベアトが1866年(慶応2年)3月に風頭山から長崎市の中心地および出島、新地、梅香崎を遠望した写真。超高精細画像を見ると、画像解説にはないが貴重なアーチ式石橋の姿が写っている。
黄線枠内は、新地蔵所の南門、広場場側に架かり、唐人屋敷と結ばれていた石橋。幕末の「肥前長崎図」地図や、川原慶賀筆「長崎図」、長崎古今集覧名勝図絵(稿本)「新地南門より唐人屋敷荷物運図」「祭舟流図」などに描かれている。
石橋の大きな古写真は、「写真集 甦る幕末 ライデン大学写真コレクションより」朝日新聞社 1987年発行にも掲載されている。
110頁 作品 123:長崎市街風景
〔画像解説〕
手前中央に石橋があり、遠景の右に片渕町、左に諏訪神社の森、遠くに三ツ山が見える。しかし、この石橋はどこの橋か。珍しい写真である。
写真集解説が「この石橋はどこの橋か。珍しい写真である」で終わっていたのが惜しい。2010年6月5日、検証した結果を次の記事にしているので参照。
https://misakimichi.com/archives/2348
この石橋こそ、新地蔵所の南門、広場場側に架かっていたアーチ式石橋である。このたび、F・ベアトの作品でも再確認できた。
なお、最後の目録番号:1767「風頭山からの港町」は、上野彦馬撮影による明治初年の写真。新地の同石橋は架け替わっている。