長崎外の古写真考 目録番号:4237 雪(冬) (1) ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4237 雪(冬)(1) ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:4237 雪(冬)(1)     同作品 目録番号:6729 雪(冬)(2)

目録番号: 938 横浜本村の薬師堂(1)
[画像解説]
横浜元町増徳院の薬師堂である。

目録番号:4184 横浜本村の薬師堂(2)
[画像解説]
山手の山裾に位置する元町は、開港場建設に際して旧横浜村の住民が移住して生まれた町。町を貫く通り(現元町通り)の突き当たりには、この増徳院が位置していた。写真は、本堂脇の薬師堂。その後薬師堂は、移転を経て現在も堀川端に建つ。

■ 確認結果

目録番号:4237「雪(冬)(1)」(目録番号:6729「雪(冬)(2)」は同作品 掲載略)は、「撮影地域:横浜」だが、場所は不明なのか、画像解説がない。
この作品は、次の目録番号: 938「横浜本村の薬師堂(1)」と、目録番号:4184「横浜本村の薬師堂(2)」のとおり、横浜元町にあった増徳院薬師堂前の雪景色であろう。

建物は建て替わっているようだが、石垣、石段、石灯篭、立木、煉瓦塀などとその配置を比較してほしい。古写真の薬師堂の場所は、現在の横浜市中区元町1丁目13番地。元町プラザが建っている。震災後、増徳院や薬師堂はどうなったか、「よこはま歴史ぶろぐ」に次のとおり記事と写真がある。

増徳院(薬師堂)

元町1丁目13番地、現在の元町プラザの場所にあった寺院。古くから町の人たちの信仰の中心的存在だった。震災後、1928年(昭和3年)に南区平楽103に再建し、戦災を経てそのほとんどが平楽へ移転した。現在元町にあるのは、1972年(昭和47年)に再建された薬師堂のみ。大同年間(9世紀初頭)の創立といわれていますが、記録は残っていない。
ペリー艦隊のミシシッピ号の船員の葬式が行われたときは、葬儀の列は街中を太鼓の音に合わせて行進し、住民達は家や店から出てきて、見物したとされる。そのとき埋葬された場所は増徳院の境内の丘で、現在の外国人墓地の一部で最も古いエリアとなる。