長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号:4617 山門前の僧侶たち
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
目録番号:4617 山門前の僧侶たち
目録番号:1229 藤沢の寺(2)
〔画像解説〕
明治初年(1868)の鈴木真一撮影と推定される写真(横浜開港資料館蔵)と同じ。‘TEMPLE FUGISAWA 藤沢遊行寺’と書かれたタイトル用の立札がある。寛政9年(1797)板行『東海道名所図会』の挿図や幕末に作成されたという同寺蔵の境内絵図からすると、右側の唐門(からもん)は「中雀門」(現存)でその後ろは「小書院(こじょいん)」となる。中雀門(ちゅうじゃくもん)は、県の調査報告書によれば19世紀中期の建立という。また、木々の間に見える右端の屋根が「大書院」、左端の建物が「観音堂」になるかも知れない。なお、同寺は藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくざんむりょうこういんしょうじょうこうじ)と号す時宗の総本山である。一般には遊行寺(ゆぎょうじ)の名で知られ正中2年(1325)の開創と伝えるが、のち荒廃・復興をくり返し、江戸時代になってからも度重なる天災によって寺容が変貌したという。また、大正12年(1923)に起きた関東大震災の後、同寺の建物群は中雀門のほか数棟を残して新しいものに建て替えられたようである。
■ 確認結果
目録番号:4617「山門前の僧侶たち」は、目録番号:1229「藤沢の寺(2)」にあるとおり、山門の造り及び山門両側の透塀から、神奈川県藤沢市西富1−8−1にある時宗の総本山「清浄光寺」(一般には「遊行寺」(ゆぎょうじ)の名で知られる)の中雀門と思われる。
現在の写真は、時宗総本山遊行寺HPから。同説明は次のとおり。
東海道の名刹 時宗総本山 遊行寺
「遊行寺」と呼ばれ、親しまれているこの寺は、時宗の総本山で、『藤澤山無量光院清浄光寺』というのが本当の名前ですが、時宗の法主が遊行上人といわれるところから、遊行上人がおいでになる寺ということで、「遊行寺」と呼ばれるようになりました。
また、藤沢は遊行寺の門前町として生まれ、「藤澤山」の山号が町の名となり、やがて東海道の宿場町に発展し、今日の藤沢市となりました。
中 雀 門
遊行寺境内の建造物の中でもっとも古く、紀伊大納言徳川治宝公の寄進により、安政6年
(1859)に建てられました。この門は四脚門で、高さ6m、幅2.7mで「船橋国造菅原義正」とされる、フクロウの彫刻は特に素晴らしいものです。
明治の大火は免れましたが、関東大震災で倒壊しました。その後以前の姿そのままに再建されました。平成20年4月大改修完成。