長崎外の古写真考 目録番号: 644 大阪の三重の塔 ほか

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 644 大阪の三重の塔 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 644 大阪の三重の塔(2014.2.1追加修正。掲載は略)
〔画像解説〕
詳細不明。平野部に位置すると思われる寺院の伽藍をなす三重の塔と講堂が映し出されている。

目録番号:2419 三重塔のある寺

目録番号:4612 三重塔
〔画像解説〕
石黒コレクションの明治8年頃に収集された古写真のアルバムに同じ写真がある。三重塔の左手奥にはかなり大きな建物の屋根が見える。これも寺院建築であろう。背景に山が写っていないので、広い平野部であると思われるが場所は不明だ。明治初年の古い写真である。

■ 確認結果

目録番号: 644「大阪の三重の塔」、目録番号:2419「三重塔のある寺」、目録番号:4612「三重塔」は、同じ写真である。
目録番号: 644「大阪の三重の塔」、目録番号:4612「三重塔」では、撮影地域:大阪とあり、これから調べると、大阪府貝塚市水間町にある「水間寺(みずまでら)三重塔」と思われる。
現在の写真は、大阪府の塔HP「水間寺」から。本堂と三重塔の配置が合い、本堂左側に写る三重塔前の灯籠の列が同じであろう。同説明は次のとおり。

水間寺(みずまでら)三重塔

水間寺は、天平16年(744年)行基が聖武天皇の勅を報じて創建した。厄除観音として参詣者が多い天台宗の寺院。境内の愛染堂は、お夏・清十郎の逢瀬の場所といわれる。
水間寺三重塔(市指定文化財、江戸時代後期 天保五年 1834年再建、本瓦葺、高さ 20m)。三層部、軒は扇垂木、組物は三手先組物。二層部、軒は二軒繁垂木、中備えは三間とも蓑束。

塔は擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間桟唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも蟇股で十二支を彫刻。三層部、尾垂木の彫刻。二層部の竜頭彫刻。相輪は型の通りで、龍車が方形になっている
三重塔は、かって多宝塔で多宝如来を安置した。天正の兵乱で焼失し万治年間に三重塔を建て、釈迦如来像を安置した。初層、中備えの蟇股(十二支の彫刻)。初層の彫刻を施した尾垂木。三重塔は、井原西鶴の「日本永代蔵」に記載されたモデルの塔と考えられている。

本堂の内部。江戸時代に岸和田城主の庇護を受け再建された。お夏・清十郎の墓。水間寺本堂(市文、江戸時代 文化八年 1811年再建、入母屋造、本瓦葺)。
*南海貝塚駅より水間鉄道、水間駅下車、徒歩約7分。