長崎の古写真考 目録番号:2415 鉱山の風景

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:2415 鉱山の風景

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:2415 鉱山の風景

■ 確認結果

朝日新聞2010年2月25日付長崎地域版「長崎今昔 長大コレクション」に載った”高島 近代化支えた立役者”により、データベースの目録番号:3232「高島炭鉱石炭船積場」の作品を昨日紹介したばかりだった。
きょう何気なく「鉱山」で条件検索すると、目録番号:2415「鉱山の風景」が出てきた。その石炭船積みの元となる「高島炭鉱北渓井立坑の操業風景」の写真なのである。

この古写真は、長崎市教育委員会編「長崎古写真集 居留地編」平成15年刊第3版の96頁に掲載があり、147頁の「図版解説」による説明は次のとおり。
この項は次を参照。 https://misakimichi.com/archives/1619

87 高島炭鉱の立坑
88 高島炭鉱の石炭搬送場          いずれも日本大学芸術学部所蔵
慶応4年(1868)、T.B.グラバーは領地支配者だった佐賀鍋島藩の長崎出張人松林源蔵と共同経営の協約を結んで、高島炭鉱の新規開発事業に乗り出した。本国から最新式の機器・技術を導入して、深さ70m余におよぶ堅坑道を穿ち、機械化によって大量の良質炭を採掘、運搬することに成功した。すなわちわが国鉱業の最初の近代化をもたらしたわけだが、経営の方はその後、紆余曲折があって明治14年に三菱商会の所有となった。
撮影は上野彦馬。明治中期頃であろうか。

87「高島炭鉱の立坑」の作品がそうであるが、88「高島炭鉱の石炭搬送場」とも、いずれも日本大学芸術学部所蔵とあり、長崎大学の古写真データベースにないと思っていた。長崎大学側もまだこの作品がデータベースに収録されていることを知らないと思われる。
高島炭鉱の写真はまだ数点ある。上野彦馬の撮影だろうか。彩色されたカラー作品となっているが、4本の煙突の噴煙は同じ向きで、同作品に間違いない。明治天皇の巡幸写真との関連で内田九一とも考えられる