茂木の散策 (7) 茂木の風景・史跡 長崎市茂木町
長崎市の茂木地区は、「長崎の奥座敷」ともいわれ、海上交通の要所だった茂木の港を中心に、南北に自然豊かな町が広がる。いずれも天草灘に面し、豊富な漁獲と茂木びわの大産地となっている。
茂木の散策(7)は、茂木地区の中心、茂木町の風景・史跡。長崎遊・通さるく「茂木界隈」コースの順路により、まず一回りした終り。次はさるくコース外へ続く。
南川橋を渡った先にある一番札所、茂木の旧家池山邸と屋根(釣竿を持つ恵比須・大黒の飾り瓦、代々の当主の名「文」入り特注瓦が見どころ)、国道を渡った旧家、玉台寺と大イチョウ、長尾安右衛門尉の墓、玉台寺墓地高台から町並みを望む、クラフトベーカリー オロン、松柏楼(ビーチホテルと別の「茂木長崎ホテル」)跡の高崎湯、潮見崎観音と月見台、潮見崎公園、茂木漁港岸壁、茂木一○香本家、店内の休憩所と色紙
もぎ歴史懇談会「茂木の名所旧跡」による説明は次のとおり。
なお、新田にあった松柏楼(茂木長崎ホテル)跡は、長崎の古写真の項、次の記事を参照。「茂木商工会30周年記念誌」平成2年刊の44〜45頁に、貴重な記事と古写真がある。
https://misakimichi.com/archives/1535
写真 5〜 玉台寺
浄土宗、松尾山無量院玉台寺。寛永3年(1624)僧宝誉の開山。山門前向かって左側の墓地に立つ碑は寛政4年(1789)島原眉山爆発崩壊の時漂着した死者を埋葬したもの。
写真 8〜 長尾安右衛門尉の墓
玉台寺境内に高さ1丈くらい自然石の下に豆腐石を置いた墓。安永14年島原の乱が起り茂木のキリシタン住民も参加、安永15年長尾安右衛門尉は当時島原領であった茂木のキリシタンを撲滅し領主高力摂津の守が労をねぎらいその死を悼み壮大な墓を造り威を示した。
写真 12〜 松柏楼(茂木長崎ホテル)跡
外人専用のホテルとしてあったそうで、その後松柏楼という小料理屋に変わり、大正12年〜昭和12年まで開業していたと云われる。
写真 14〜 潮見崎観音
潮見崎観音は宝永3年(1706)開山。本尊は11面観音菩薩、子育て子授けの観音として信仰され、市中より参拝者も多い。
写真 17〜 月見台
月見台は潮見崎の上にあり注連(しめ)が崎とも云い、月は赤井が崎(赤崎鼻か)の上から出てその先を海にうつし注連が崎、月見台の下にかけて布を引いたようになるので「布引の月」と云う。