長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号: 5250 茂木道(1)
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」に収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。
目録番号: 5250 茂木道(1)
■ 確認結果
茂木街道にある橋について、最初に次を記事と写真を参照。
「柳山橋」 https://misakimichi.com/archives/428
「河平橋」 https://misakimichi.com/archives/427
「目録番号: 5250 茂木道(1)」の橋を、「柳山付近と思われる」と説明しているが、旧茂木街道の道を柳山へ下って行くと、渡る橋はアーチ式石橋であった(長崎大水害で流失)「柳山橋」以外にない。今もアーチ式石橋として残る「河平橋」は、明治18年(1885)に新道(旧県道)として整備された道にある。
古写真の橋は、「柳山付近」でなく谷を隔てた、この新道(旧県道)として整備された道にある。河平川の谷間となり、橋名は「上橋」という。水害前は桁石橋だった。
絵葉書下部は「長崎茂木道」とだけあり、橋名や具体的な場所を記していない。道の曲がり具合と、背景の茂木方面の山の稜線から、「上橋」に間違いないだろう。
旧県道を「河平橋」を渡って下って行くと、人家が現われ、やがて「(有)中村米穀ライス・ファクトリー」の工場(茂木町1240番地)がある。
道は直角に曲がり、河平川の本流を渡る。この橋が字河平の「上橋」である。「下橋」は下流にあるが、旧県道の道から離れる。
旧県道をしばらく進むと、「黒橋」バス停の所で、昭和9年(1934)開通した新県道(現 国道324号線)へ出る。後ろの写真が、現在の「柳山橋」と「河平橋」。