ヤッサ地区の猪垣 竹富町南風見
サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。石垣港から高速客船により西表島大原港に着く。仲間川の河口域北岸の中州に位置するヤッサ地区は、航空写真のとおり。県道215号大原バス停先GSのところから直進。しばらく進み「大原一般農道」標識の道へ右折する。
農道をヤッセ橋など3つの小橋を渡り奥まで行くと、広大なサトウキビ畑が全面に広がる。ここが「ヤッサ地区」である。
猪垣はサトウキビ畑周辺の雑木林の中にあるようだが、どこかウロウロした。農道行き止まりとなる柵のところで、それらしき土盛りを見たが、これが猪垣かわからない。帰りにやっと農作業中の人と会った。猪垣は中洲のほぼ外周の川沿いにあり、手前に新猪垣フェンスが設置されフェンスから遠く、立ち入りできず草刈りしないことには撮影不能と聞いた。
地元で猪垣修復をしたのは、もう10年前の話である。当時の代表が現武富町長となられているらしく、画像提供は武富町に遺産サイトから依頼してもらうこととし、現地を切り上げた。
ヤッサ地区の猪垣 いがき
(八重山)竹富町(西表島) 猪垣(石塁) 高約1.2m 1768年頃 WEB 2006年に初めて修復 西表島の特徴 2 B
琉球新報2006年6月18日付地域版の「ヤッサ地区の猪垣修復」記事は、次のとおり
よみがえれ、猪垣 240年前築造、初めて修復 西表・ヤッサ地区
【西表島=竹富】竹富町・西表島の仲間川の河口域北岸の中州に位置するヤッサ地区で9日、約240年前に猪(いのしし)による農作物被害防止対策のため積まれた石垣「猪垣(いのがき)」の修復作業が行われた。大雨や台風などで猪垣の一部が崩壊しており、農家約10人が参加して、手作業で崩壊した部分を修復した。
八重山では、猪が生息するのは石垣島と西表島だけで、両島では猪が農作物を食い荒らさないように猪垣が造られた。このうち、1900年ごろ風土病のまん延などの影響で一度、廃村となったヤッサ地区では、畑の周囲を囲むようにして雑木林の中に猪垣が積まれている。
琉球王府の検使として八重山に派遣された与世山親方らの八重山視察後に作成された「与世山親方八重山嶋規模帳」などによると、1768年ごろ、「仲間村の耕作地は仲間村の負担で猪垣を築くこと」とあり、猪垣が築造された記録が残されている。
ヤッサ地区のサトウキビ農家の西大舛高旬さん(58)は「猪による被害は後を絶たず、鉄線や網を張るなどして対策を講じてきたが、間に合わなかった。やはり昔の人の知恵で造った猪垣をそのまま引き継ぐことが一番の対策になると思い、初めて修復作業をすることになった」と話した。
猪垣はサトウキビ畑周辺の雑木林の中で、約1・2メートルほどの高さで積まれており、参加者らが崩落した石を猪垣に積み直した。作業には、県八重山支庁や竹富町の農林水産担当者や、文化財担当者が同行し、写真やメモを取るなどして作業の様子を記録していた。