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長崎の西の空の夕日  09−24

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長崎の西の空の夕日  09−24

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。

写真  1〜 4  平成21年11月27日の17時04分頃から
写真  5〜 6  平成21年12月 2日の 6時40分頃から 旧10月15日朝明けの月

釣れた? 釣具店の釣人 (7)  長崎市平山町

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釣れた? 釣具店の釣人 (7)  長崎市平山町

長崎半島平山町の国道499号線沿い。釣具・えさ店。連日早朝4時オープン。背後は八郎岳。
Fishing shop OGAWA

いっとき何も見なかったが、師走となり、クリスマスバージョン。サンタとトナカイに変身。周りも別のサンタや雪だるま人形で賑やかに仕立てている。夜はイルミネーションが光る。貧乏神を早く退散させてくれ!

長崎学さるく “橘湾沿岸の江戸期の台場跡めぐり” (2)  平成21年11月

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長崎学さるく “橘湾沿岸の江戸期の台場跡めぐり” (2)  平成21年11月

平成21年11月29日(日)曇り。長崎学さるく幕末編行事 “橘湾沿岸の江戸期の台場跡めぐり” 参加スタッフとも20人。講師は、諌早市郷土館の織田正人先生。
東望道バス停9時半発ー東望陣屋跡ー東望山台場跡ー蛎道台場跡ー戸石地区公民館(昼食)ー飯盛経ヶ岳台場跡ー結の浜(一部解散)ー田結観音寺ー大門バス停15時着(徒歩約10km)

江戸時代、佐賀藩諫早領は異国船来航に備え、橘湾沿岸の警備のため多くの台場を築いた。藩史料からわかっている各台場の配備状況と主な台場跡を訪ねる。
織田先生作成資料は詳しい研究と図があるが、写真説明に必要な部分のみ簡単に載せる。

写真  2〜 11   4 経ヶ岳(経読岳・きょんだけ)台場跡
東望山台場と同じ目的で設置された。幕末の文久年間(1861〜1863)に経ヶ岳台場として設置、その後、慶応3年(1867)に南手に2台場・北手に2台場が設置された。馬蹄形の台座が見られる。

・それぞれの台座の寸法 (経ヶ岳台座の中心軸石の上に乗っている丸石は正体不明)
東 望 山  直径(内径) 360cm  縁石 23.5cm
経 ヶ 岳   直径(内径) 740cm  縁石 33cm 
蛎   道   整理されて原型を留めない  縁石 23cm 

写真 な し       5 田結(高岳)の遠見番所跡
佐賀藩が長崎港の警備を担当した頃より、長崎港出入りの船が、長崎半島の突端椛島が遠望でき見渡せるため、この遠見番所と有喜遠見番所を設置した。

写真 12〜 14   結の浜マリンパーク

写真 15〜 16   補3 田結山観音寺
曹洞宗。本尊は行基作 聖観世音菩薩(諌早市指定有形文化財)。

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/9984081.html
のりさんのは、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/9984081.html

次回の学さるくは、1月2日(土)に”新春「みさき道」を歩く(岬木場経由)” 午前9時30分三和行政センター前広場集合。

(追 記 2015年8月22日)
飯盛町池下「経ヶ岳台場・跡」の場所は、追加の地形図+地点あたり。2枚目写真が台場登り口を撮影していると思われる。サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。詳しい文献は、「諫早史談No.40」にあるようです。

経ヶ岳台場・跡 きょうがたけ
諫早市 飯盛町池下 台場(佐賀台場) 内径7.4m(円形台座:300度) 慶応3(1867) 諫早史談40 直径7.4mの円形台座が残る/中心軸受けに丸石(後から置かれた) 肥前・佐嘉藩が領内の東望・牧島・蠣道の3ヶ所に築いた砲台の1つ/円形台座の上に2個2組の「ころ」(現存せず)で支えた「応変台」を置き、中心軸受けに入れた軸(現存せず)の回りに大砲を回転させたとされる→県内では長崎市の「東望山砲台」の倍の大きさ 2 B  

長崎学さるく “橘湾沿岸の江戸期の台場跡めぐり” (1)  平成21年11月

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長崎学さるく “橘湾沿岸の江戸期の台場跡めぐり” (1)  平成21年11月

平成21年11月29日(日)曇り。長崎学さるく幕末編行事 “橘湾沿岸の江戸期の台場跡めぐり” 参加スタッフとも20人。講師は、諌早市郷土館の織田正人先生。
東望道バス停9時半発ー東望陣屋跡ー東望山台場跡ー蛎道台場跡ー戸石地区公民館(昼食)ー飯盛経ヶ岳台場跡ー結の浜(一部解散)ー田結観音寺ー大門バス停15時着(徒歩約10km)

江戸時代、佐賀藩諫早領は異国船来航に備え、橘湾沿岸の警備のため多くの台場を築いた。藩史料からわかっている各台場の配備状況と主な台場跡を訪ねる。
織田先生作成資料は詳しい研究と図があるが、写真説明に必要な部分のみ簡単に載せる。

写真  2        1 東望陣屋跡
幕末長崎に異国船の入津に伴い、佐賀藩は防備を強化した。諫早もその一部を受け持つため、長崎に近い矢上の地に用員の移住を行った。その用員の陣屋である。又、諫早領の海岸(橘湾)の防備の用員でもあった。

写真  3〜  7   2 東望山砲台跡(長崎市指定史跡)
文化元年(1804)のロシア船来航・文化5年(1808)フェートン号事件により、幕府は沿岸警備の強化を諸藩に命じた。諫早領は、橘湾沿岸警備のため、文化年間(1804〜1817)海岸沿いに警備の為に施設を整えた。幕末の文久年間(1861〜1863)に、東望山に砲台を設置、その後、慶応3年(1867)に5ヶ所設置した。現在の指定砲台は日当平と思われ、馬蹄形の台座が見られる。

写真  8〜 12   3 蛎道(釜崎)台場跡
東望山台場と同じ目的で設置された。幕末の文久年間(1861〜1863)に日当平辻台場として設置、その後、慶応3年(1867)に蛎道の上下段と魚見岳の3ヶ所に設置された。台場の跡形は、琴平神社の台石に利用されている。

宮さんの参加ブログ記事は、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/9984081.html
のりさんのは、 http://blogs.yahoo.co.jp/type2218/9984081.html

下甑郷土館庭園に残る石橋の橋桁  薩摩川内市下甑町手打

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下甑郷土館庭園に残る石橋の橋桁  薩摩川内市下甑町手打

鹿児島県の西方海上はるか甑島は、細長い列島の島。川の流れは短くすぐ枯れるのか、小さな桁石橋もまったく見当たらなかった。
最後に寄った下甑島の南端、下甑町手打の武家屋敷通り「薩摩川内市立下甑郷土館」(歴史民俗資料館)の庭園で、やっと歴史ある桁石橋の珍しい材石と出会った。
庭園のベンチなどにされている6本。由来書きは次のとおり。

◇石橋の由来

この石は橋桁で今から約三百年位前、甑島領主小川氏の菩提寺住職丹山観和尚が泉州(現在大阪府堺)の宇兵という石工にたのんで、手打集落内の川の五ヶ所に三本ずつ石橋桁をかけさせたもののうちの一本の石橋の桁です。残りの橋桁の一部は郷土館の庭園に配石しています。
◇五ヶ所とは (城川の上・下、松下川の上・下、長川の一ヶ所)
(刻 銘) 五ヶ所共 元禄十年六月三日丁丑 丹山叟施捨 工者 泉州宇兵   郷 土 館

下甑郷土館の敷地は、建武の中興の忠臣楠木正成の末流楠木和田家(菊水の定紋)がこの地に落ちのびて住みついたといわれる歴史的に由緒あるところで、家屋(お住い・なかい)や庭園・山水池も以前の姿に復元したものである。この池にも復元庭園橋があった。
後ろの写真は、同庭園展示の「洗濯石」と、郷土館前通りの現在の城川「城橋」。

鹿島町の大火のエノキ・梶原家のソテツ   薩摩川内市鹿島町藺牟田(下甑島)

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鹿島町の大火のエノキ・梶原家のソテツ   薩摩川内市鹿島町藺牟田(下甑島)

名木を番号順に紹介中なので、記事は下甑島でも上となる北端部の鹿島町へ戻る。
鹿島港フェリー乗り場から県道349号線を少し南へ下ると、鹿島断崖が見られる「藺落(いおとし)展望台」への案内標識があり、薩摩川内市鹿島支所、鹿島小学校前を通る右の道へ入る。

密集した集落内に車を通すためできた道路で、県道から入ってすぐにJA甑支所スーパーがある。先の角地に小さな建物の徳船寺があり、名木「大火の榎」が寺前の道路中央に立つ。
市鹿島支所まで行くまだ手前。近くに「鹿島小学校発祥之地」と長濱街道の里程標石があった。
「かごしまの名木」リストによる説明及び現地説明板は次のとおり。榎の片面が焼けているのは、アップに写し忘れた。

かごしまの名木  38   愛称 大火の榎   樹種 エノキ
所在地 薩摩川内市下甑町鹿島町藺牟田
幹周 1.9m   樹高 10m   樹齢 850年   本数 1本

鹿島村文化財指定(天然記念物第4号)  名称「徳船寺境内及び周辺樹林」

文化元年(1804年)の10月29日に、「大蔵火事」と呼ばれた大火事があり、村の3分の2にあたる約200戸が焼失した。この榎の片面が焼けているのはその時の名残りである。
大木が殆ど姿を消した本村において、この徳船寺境内及び周辺の樹木は、貴重な緑であり、村内に豊かなうるおいを与えている。
本村ではその後、防火に特に注意し、「道中禁煙」を呼びかけ、村民みんなで防火に心がけるようになった。文化財をみんなで守り大事にしましょう。  平成15年3月  鹿島村教育委員会

ここから県道の裏通りとなる路地を鹿島港フェリー乗り場の方へ歩くと、「かごしまの名木」でないが、やはり同村指定文化財だった「梶原家のソテツ」を見かけた。現地説明板は次のとおり。

梶原家のソテツ   鹿島村指定文化財(天然記念物第3号)

そもそも梶原家は、源平争乱後落ち延びてきた平家の一族とも言われ、この地に住み着き郷士となった。このソテツの西側一帯は風雅な築山であったが、時代と共に次々と削られ、ソテツのみ先祖の遺物として保存されてきた。
当時ここは鈴木流の道場があり、柔・剣術の稽古を行い、このソテツの根本が休息場所であったと伝えられている。
樹齢 760年以上  高さ 3m20cm  周囲 5m40cm   平成16年2月現在
平成16年2月   鹿島村教育委員会

手打小学校のセンダン   薩摩川内市下甑町手打(下甑島)

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手打小学校のセンダン   薩摩川内市下甑町手打(下甑島)

下甑町手打は下甑島南端の集落で、下甑町の中心である。県道349号線により手打海水浴場がある海岸通りに出て、浜の中間ほどの小橋から川沿いの左の道へ入る。武家屋敷通りを通りぬけ、まっすぐ行くと薩摩川内市立手打小学校の校庭側門に出る。下甑郷土館の裏側となる。

名木のセンダンは校庭の中央に立つ。校庭の隅にはイチョウの大木もあった。
「かごしまの名木」リストによる説明は次のとおり。甑島について名木は、町ごとに1本ずつ選定したのではないか。センダンの大木は、上甑島の里町小学校塀のが、後ろの写真とおり幹囲3mほどあり大きかった。

かごしまの名木  37   愛称 手打小学校のセンダンの木   樹種 センダン
所在地 薩摩川内市下甑町手打
幹周 1.5m   樹高 7m   樹齢 120年   本数 1本

長崎の西の空の夕日  09−23

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長崎の西の空の夕日  09−23

長崎市南部の団地、わが家から見た夕日。電柱と電線は邪魔なので近くにも出かける。以下、続く。

写真  1〜 3  平成21年11月12日の 7時23分頃から  朝明けの空
写真  4      平成21年11月23日の17時19分頃から
写真  5〜 9  平成21年11月25日の17時13分頃から  沖は端島(軍艦島)

平良のエノキ   薩摩川内市上甑町平良(中甑島)

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平良のエノキ   薩摩川内市上甑町平良(中甑島)

上甑島から甑大明神橋と鹿の子大橋を渡って、上甑町平良港フェリー乗り場へ行く。海岸通りをさらに400mほど先へ進むと、右手にエノキの大木がある公園がある。平良公民館の前となる。「かごしまの名木」リストによる説明及び現地説明板は次のとおり。

かごしまの名木  36   愛称 榎   樹種 エノキ
所在地 薩摩川内市上甑町平良
幹周 3.8m   樹高 15m   樹齢 500年   本数 1本

榎 の 由 来

この榎の木は樹齢500年以上と推定されている。ここに三島神社があったころは4本の榎の木が立っていた。戦時中はこの木にサイレンを取り付けたり、戦後は時報・災害時等の報知に利用されたりして永くみんなに親しまれてきた。
これからもこの榎を保護し、憩の場のシンボルとしたい。     上甑村教育委員会

里のアコウ  薩摩川内市里町里(上甑島)

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里のアコウ  薩摩川内市里町里(上甑島)

「かごしまの名木」リストによる説明は次のとおり。里のアコウは幹周6mの大木であり、地元へ行って聞けばわかるだろうと思って甑島へ渡ったが、人によっていろいろな木を言う。
薩摩川内市観光協会甑島案内所でもわからず、現在、鹿児島県森林整備課、薩摩川内市里支所地域推進課へ問い合わせ中だが、返答がなかなか来ない。

かごしまの名木  35  愛称 里のアコウ  樹種 アコウ
所在地 薩摩川内市里町里  所有者
幹周 6m  樹高 15m  樹齢 400年  本数 1本

他の人のHPでは、里小学校のアコウを書いているのがある。校庭に立ち入れなかったが、そんな大きい木とは見えない。同小学校正門左側の屋敷の石垣にある木の方が幹周は大きい。
そのほか里支所近く海岸通り交差点に植えられた薩摩川内市合併記念の木、そして甑島案内所から画像を送ってもらったが、集落内にも大木はある。

正しい選定木がわかったら、後日、記事と写真を修正したい。番号順があり、項目出しをしておく。里小学校校庭の2枚目、里集落内の7,8枚目のアコウの木の写真は、甑島案内所からの送信画像。