乙房町の石敢當 都城市乙房町
サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。JR西都城駅前交差点から県道31号により北西へ進む。庄内川に出る手前、庄内橋南交差点から県道108号へ右折。この付近が乙房町である。
乙房平田地区2948という番地は、2つ目角先の右側。蔵満家前三叉路突き当たり県道路傍に「石敢當」にあると記している。写真のとおり写真スタジオができたが、現在は廃業し空き店舗。県道に面した路傍に「石敢當」は見当たらない。
裏が蔵満家の屋敷のようだが、ここも空き家。庭を覗いても「石敢當」は見当たらない。近所で聞き込みをしたが、子は都城市街に住んでいるらしく、これ以上の手がかりはなかった。
坂を下って消防分団倉庫前(近くに町区自治公民館がある)石垣角に立っていたのは、「水神」だった。
乙房町の石敢當 おとぼう
都城市 石敢當(凝灰岩) 高22㎝,幅35㎝,厚8㎝ 弘化2(1845) 日本の石敢當p124/市教委(都城市史) –
2004年発行「民族信仰 日本の石敢當」124〜125頁による記録は、次のとおり。当時の写真は掲載なし。
たとえば、乙房平田地区2948 蔵満家前三叉路突き当たり県道路傍に「石敢當」と刻した高さ22cm、幅35cm、厚さ8cmの頭丸味の凝灰岩の端整な碣がある。弘化2年(1845)造立というが、造立年銘はない。