長崎居留地の境石1〜5 長崎市南山手町ほか
サイト「近世以前の産業・土木遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。地番標石1〜4は、次記事に。
長崎の外国人居留地の境石や地番標石は、東山手町や南山手町を中心に全体で約90本近く残っている。
遺産リストでは、高さ50cm以上を取り上げているため、この分の標石のみ改めて紹介する。
現地写真は各2枚ずつ。標石の所在場所など詳細は、本ブログ書庫「長崎の外国人居留地跡標石」リストから、以前の各記事をそれぞれ参照。
長崎居留地の境石1 ながさき
長崎市 南山手町16-30 居留地の境界石 高111㎝,幅30㎝ 文久元(1861)以降 どじょう会No6/WEB(みさき道人) 原位置?/本リストでは高さ50㎝以上のもののみを取り上げるが、それ以下のものを含めれば80基以上が現存し、大半が原位置もしくはその近くに残る 安政の五カ国条約により外国人に開放され、安政7以降、大浦の海岸が埋め立てられて居留地が造成された。グラバー邸の完成が文久3(1863)、長崎大学附属図書館が作成した慶応3(1868)の長崎居留地の敷地割の地図では丘陵部の敷地割は完成しているので、現存する当該地区の居留地境石、地番標石は幕末〜明治初期のものと推測される/(正面)「居留地境」 1 B
長崎居留地の境石2 ながさき
長崎市 南山手町16-30 居留地の境界石 高78㎝,幅27㎝ 文久元(1861)以降 どじょう会No7/WEB(みさき道人) 原位置?/同上 同上/(正面)「居留地境」 1 C
長崎居留地の境石3 ながさき
長崎市 小曽根町1-13 居留地の境界石 高92㎝,幅28㎝ 文久元(1861)以降 どじょう会No27/WEB(みさき道人) 原位置?/同上 同上/(正面)「居留地境」 1 B
長崎居留地の境石4 ながさき
長崎市 グラバー園 居留地の境界石 高111㎝,幅28㎝ 文久元(1861)以降 どじょう会No31/WEB(みさき道人) 移設・集約/同上 同上/(正面)「居留地境」 2 B
長崎居留地の境石5 ながさき
長崎市 東山手町1-41 居留地の境界石 高145㎝,幅27㎝ 文久元(1861)以降 どじょう会No69/WEB(みさき道人) 煉瓦塀に埋め込み/同上 同上/(正面)「□留地境」 3 B