「わかる!和華蘭」のわからん  長崎市政への提案と回答 ( 長崎県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

「わかる!和華蘭」のわからん  長崎市政への提案と回答

ご意見(要旨) 【「わかる!和華蘭」のわからん】  【2015年06月受信】

新長崎市史の普及版「わかる!和華蘭」が、本年3月発行されています。私の理解不足もありますが、内容でわからんのをお聞きします。
35頁 右下の掲載写真の説明は、「戸町氏の居城・戸屋城跡(上戸町)」とあります。一方、長崎学ハンドブックⅡ「長崎の史跡(南部編)」104頁では「鳥屋城跡」となっています。長崎名勝図絵・長崎日記・大村郷村記など古書で、確かにいろいろな表記がありますが、どれが正しいのかわかりません。「鳥屋城跡」を「戸屋城跡」と変えた理由を市民にわかりやすく説明してください。
80頁 長崎の主な街道図で、なぜ「御崎道」はこのようなルートになるのですか。長崎医学伝習所生だった関寛斎「長崎在学日記」文久元年の紀行や、平凡社「長崎県の地名 日本歴史地理体系43」御崎道の解説、道塚の所在、文久・明治地図などからは、まったく考えられない史実に反した説と思います。
「新長崎市史」は、市民が後世へ伝えるなるべく正確なものにお願いします。市史発刊時すでに指摘し、監修の充実を市政へ提案していました。正誤表も必要と要望していました。それはどうなったのですか。

回 答 【統計課】  【2015年06月25日回答】

「新長崎市史」全4巻及び本年3月に発刊しました「わかる!和華蘭 新長崎市史普及版」については、一部、記載内容に誤りが見つかっており、訂正方法を検討しております。読者の皆さまならびに関係各位にご迷惑をお掛けしておりますことを深くお詫び申し上げます。
今回、ご指摘いただきました箇所につきましては、執筆者等と検証することとしておりますので、ご理解いただきますようお願いいたします。
一人でも多くのかたにご活用いただける市史等を目指してまいりますので、お気づきのところがございましたら、統計課へお知らせいただきますようお願いいたします。