月別アーカイブ: 2014年11月

入来町小路の石敢当  薩摩川内市入来町浦之名

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入来町小路の石敢当  薩摩川内市入来町浦之名

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。本ブログ次を参照。
入来麓周辺の「石敢当」調査(概略図⑤〜⑪分)  https://misakimichi.com/archives/4132
前回不明の小路の石敢当は、薩摩川内市入来支所に調査をお願いし、私自身で確認していなかったため、今回の帰路立ち寄り、概略図⑨、⑩の石敢当を撮影してきた。

入来町の石敢當1 いりき
薩摩川内市 石敢當 高49㎝,幅13㎝ 元文4(1739) 市教委/ 日本の石敢當p146 石垣に埋もれている (正面)「石敢當」 3 C

薩摩街道の妹背橋  薩摩川内市高城町

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薩摩街道の妹背橋  薩摩川内市高城町

HP「旧街道ウオーキング 人力」薩摩街道を歩く2008年11月26日(水)記事は、次のとおり。

牛ノ浜〜西方御仮屋〜上川内〜JR川内

…「西郷どんの手水鉢」が左手にある。弘化3年(1846)岩永三五郎の設計で石造りの美しい眼鏡橋の妹背橋が架けられたが、この工事に座書役として従事したのが18歳の西郷隆盛だった。竣工までの3年間宮園さん宅に奇遇し、朝夕この手水鉢を使ったと説明されている。

高城川に架かる「妹背橋」を渡るが、その手前右側に行ったところに妹背橋についての説明板がある。ここも丸目さんに教えていただいたところだ。それによると初代妹背橋は木造桁橋であったと思われ、その後弘化3年
(1846)に第二代妹背橋は石造り眼鏡橋に造りかえられている。この石橋は二連の角石をアーチ型に組み合わせ、高城川の洪水の激流に耐えられるように、底辺は特に大きな角石を敷き詰め、底堀りによる流失を防ぐように設計された優美な眼鏡橋だった。熊本県出身の名工岩永三五郎がこの橋の設計を行ったが、岩永はこのほかに甲突川の五石橋をはじめ三十五の石橋を架橋し、川内市出身の阿蘇鉄矢とともに石橋造りに尽くした人物として有名だ。また二十歳の西郷隆盛が工事の監督を行ったとされている。三代目、四代目の妹背橋は鉄筋コンクリート橋に変わっていると説明されている。

橋を渡るとすぐに道標があり、左折して進む。右手に京セラの大きな工場があり、その裏を通って進む。高城郷の野町跡の案内板が立っている。それによるとこの通りは薩摩藩公認の野町〈商業町)のあったところで、紺屋〈染物屋)、人形屋、焼酎屋、旅籠などが軒を連ね、賑わっていたと書かれている。町並みもなんとなく昔を感じさせるものがある。…

鹿児島県のアーチ式石橋 大乗院橋  鹿児島市稲荷町

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鹿児島県のアーチ式石橋 大乗院橋  鹿児島市稲荷町

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。前記事も参照。

№1,524  大乗院橋

鹿児島市稲荷町
稲荷川
橋長:15.0m  橋幅:下幅9.9m  径間:11.0m  拱矢:4.9m
架設:平成2年3月
稲荷町、清水中学校前の稲荷川に架かっています。
RC橋ですが平成に生まれ変わった石橋としてカウントしました。

大乗院橋  (池之上町若宮公園に縮小復元されている大乗院橋の現地説明板)
「大乗院橋は、薩摩藩の祈願所であった宝成就寺大乗院(現在の清水中学校のところにあった寺)の参道に架けられた橋で、もともと板橋でしたが、天保13年(1842)岩永三五郎により石橋につくりかえられました。
大乗院橋は長さ14.5m、幅4.2mで、橋の中央が道路の両側より大きくせりあがり、アーチの丸みが強く美しい石橋でした。
しかし、昭和63年(1988)夏の大雨により、大乗院橋のアーチを形作る輪石などの一部が破損・流失しました。
平成10年(1998)3月、旧大乗院橋の残された石材を主に使用し、若宮公園に2分の1に小型化した石橋が完成しました。その姿は往時の面影を残しています。」

鹿児島県のアーチ式石橋 大乗院橋(縮小復元)  鹿児島市池之上町 若宮公園内

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鹿児島県のアーチ式石橋 大乗院橋(縮小復元)  鹿児島市池之上町 若宮公園内

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。次記事も参照。

№1,513  大乗院橋(縮小復元)

鹿児島市池之上町 若宮公園内
移設後   橋長:7.25m  拱矢:1.97m
移設:平成10年(1998)3月
照国神社前から国道10号線を1.9Km北上、春日町交差点を左折、交番を左に見て150m先に若宮公園があります。

大乗院橋 (現地説明板)
「大乗院橋は、薩摩藩の祈願所であった宝成就寺大乗院(現在の清水中学校のところにあった寺)の参道に架けられた橋で、もともと板橋でしたが、天保13年(1842)岩永三五郎により石橋につくりかえられました。
大乗院橋は長さ14.5m、幅4.2mで、橋の中央が道路の両側より大きくせりあがり、アーチの丸みが強く美しい石橋でした。
しかし、昭和63年(1988)夏の大雨により、大乗院橋のアーチを形作る輪石などの一部が破損・流失しました。
平成10年(1998)3月、旧大乗院橋の残された石材を主に使用し、当若宮公園に2分の1に小型化した石橋が完成しました。その姿は往時の面影を残しています。」

垂水千本イチョウ  垂水市新御堂

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垂水千本イチョウ  垂水市新御堂

垂水市観光協会HP「鹿児島県垂水市の観光案内-たるみずinfo」による説明は、次のとおり。NPO法人かごしま探検の会により「世間遺産・僕立公園」に指定されており、見頃は12月上旬となっている。垂水市役所前の県道71号線を東へ、車で約10分(約4.7km)

垂水千本イチョウ
30年程前、中馬吉昭氏が先代から引き継いだミカン山(荒れ放題)を前に思い描いたのはここに銀杏を植え東京原宿にある銀杏並木を再現できないかという事だった。中馬家は畠山重忠の流れで垂水伊地知家の分家にあたり氏で29代目になる。東京のデパートをやめ、帰郷した氏は鹿児島の不動産屋に勤める傍ら休みの日にコツコツ切り開き(平地なら機械もはいるが傾斜のきつい段々畑、ほとんど手作業)最初植えたのは7本だった。(木市で買ってきた)現在1200本

銀杏の見ごろは毎年異なるが22年度は11月25日~12月10日、23年度は12月1日~20日だった。気候の変化(紅葉する頃の寒暖差が大きい程きれいである)に影響される。中馬氏が一番恐れているのは台風で実が落ちてしまうこと。熟さない内に落ちると収穫ゼロで紅葉も葉が傷むと深い黄金色にならない。
銀杏だけでなく駐車場近くに樹齢100年以上といわれる山桜がある。氏は春も楽しめるよう山桜の苗100本を植えたそうです。

中馬吉昭氏のプロフィル
千本銀杏の中馬さんの事は県内はもとより最近は全国レベルにまでなったが他の顔もいろいろとおもちで自宅近くにある手貫神社の氏子として月1回の清掃は欠かさない。この手貫神社には氏の先祖中馬重頼が大永2年(1522)肥後氏と戦った時使用した長刀が(約2メートル)保管されている。この長刀、もともと馬込集落の荒人神社に奉納されていたが賊に盗まれた。後に返ってきたが物騒なので今は手貫神社に保管されている。指定はうけていないが今から489年前の戦国武将が戦に使用し(重頼はこの戦で戦死)たものが残っている。

他にも垂水の数々の委員をされ、スタートした当時道の駅たるみず、生産者代表も務められた。午前中は銀杏山の手入れ、午後は読書まさに晴耕雨読の日々です
第1回鹿児島景観大賞「個人)を受賞、 かごしま検定グランドマスターを取得