薩摩街道の妹背橋  薩摩川内市高城町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

薩摩街道の妹背橋  薩摩川内市高城町

HP「旧街道ウオーキング 人力」薩摩街道を歩く2008年11月26日(水)記事は、次のとおり。

牛ノ浜〜西方御仮屋〜上川内〜JR川内

…「西郷どんの手水鉢」が左手にある。弘化3年(1846)岩永三五郎の設計で石造りの美しい眼鏡橋の妹背橋が架けられたが、この工事に座書役として従事したのが18歳の西郷隆盛だった。竣工までの3年間宮園さん宅に奇遇し、朝夕この手水鉢を使ったと説明されている。

高城川に架かる「妹背橋」を渡るが、その手前右側に行ったところに妹背橋についての説明板がある。ここも丸目さんに教えていただいたところだ。それによると初代妹背橋は木造桁橋であったと思われ、その後弘化3年
(1846)に第二代妹背橋は石造り眼鏡橋に造りかえられている。この石橋は二連の角石をアーチ型に組み合わせ、高城川の洪水の激流に耐えられるように、底辺は特に大きな角石を敷き詰め、底堀りによる流失を防ぐように設計された優美な眼鏡橋だった。熊本県出身の名工岩永三五郎がこの橋の設計を行ったが、岩永はこのほかに甲突川の五石橋をはじめ三十五の石橋を架橋し、川内市出身の阿蘇鉄矢とともに石橋造りに尽くした人物として有名だ。また二十歳の西郷隆盛が工事の監督を行ったとされている。三代目、四代目の妹背橋は鉄筋コンクリート橋に変わっていると説明されている。

橋を渡るとすぐに道標があり、左折して進む。右手に京セラの大きな工場があり、その裏を通って進む。高城郷の野町跡の案内板が立っている。それによるとこの通りは薩摩藩公認の野町〈商業町)のあったところで、紺屋〈染物屋)、人形屋、焼酎屋、旅籠などが軒を連ね、賑わっていたと書かれている。町並みもなんとなく昔を感じさせるものがある。…