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長崎の古写真考 ながさき浪漫 107頁 全部が見えます。市役所です

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長崎の幕末・明治期古写真考 ながさき浪漫 107頁 全部が見えます。市役所です

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

アルバム長崎百年 ながさき浪漫
107頁  全部が見えます。市役所です
〔画像解説〕
2階建ての木造ですが市内のどこまでも見通す高い塔を持った堂々たる洋館です。明治時代の九州をリードした長崎市にふさわしい市庁舎です。   明治27年11月竣工

■ 確認結果

長崎大学のデータベースには、長崎市役所建物の絵葉書古写真が、 目録番号: 5114「長崎市役所(1)」、目録番号: 5115「長崎市役所(2)」、目録番号: 5116「長崎市役所(3)」にある。先代建物の写真だが、特に解説がなく掲載は略した。

長崎市役所の建物については、長崎浪漫会編「アルバム長崎百年 ながさき浪漫 写真でしのぶ明治・大正・昭和」長崎文献社平成11年発行の、Ⅴ:建物編 107頁に掲載されていた。
長崎浪漫会による画像解説は、上記のとおりだが、はたしてそうだろうか。長崎市制は明治22年施行、明治27年11月新築された木造2階建て本館の写真ではない。

越中哲也・白石和男氏共編「ふるさとの想い出 写真集 明治・大正・昭和 長崎」図書刊行会昭和54年発行 ●官公庁の中に長崎市役所建物の写真がある。同解説は次のとおり。

26頁    「42・43 長崎市役所(1)(2)」
〔画像解説〕
この新庁舎が完成したのは大正4年1月13日であった。当日は粉々たる降雪であったと記している。庁舎は2階建で工費は95,322円65銭であり、設計者は県庁新庁舎の設計者と同じ山田七五郎である。現在この庁舎は改造されている。

本建物は昭和33年火災により大半が焼失。「現在この庁舎は改造されている」とは、現在の庁舎である新館に、昭和34年4月全部建て替えられ完成したという意味である。
「ながさき浪漫」に掲載された写真の建物は、大正4年完成した塔を持った鉄筋コンクリート2階建てのこの建物であり、長崎浪漫会の解説は明らかに間違いであろう。

「長崎年表」による記録は、以下のとおり。同HPの「長崎年表冩眞舘」に、「ながさき浪漫」から引用した同じ写真があり、次のとおり解説している。参考としてもらいたい。
http://f-makuramoto.com/01-nenpyo/03.PH/naka.html

『市役所を上空から眺める珍しい写真です。左下で斜めに走る道路の左奥が県庁、下は諏訪神社方面となります。右上で斜めに走る道路の上奥が長崎駅、右へ行くと桜町立体交差へつながります。 写真の撮影は、1954年(昭和29)3月26日の桜町の立体交差完成から、1958年(昭和33)3月29日に庁舎が火事で焼失するまでの、4年の間となります。
長崎文献社「ながさき浪漫」(ながさき浪漫会/編)より』

▼1894(明治27)
11/10★長崎市役所が木造2階建て本館と平家建て別館を新築落成
▼1914(大正03)
12/25★鉄筋コンクリート2階建の長崎市役所庁舎が落成。中央には高い望楼がそびえる
外側は赤い煉瓦が貼られ、一見は煉瓦作りのようにも見える洒落たデザイン。設計は山
田七五郎
本館は387坪2合7勺(約1278平方米)、工費は9万5322円65銭
→戦時中☆望楼の塔上に据えられる4面のサイレンは独特な音色で不気味に警報を吹
き鳴らす
→1945(昭和20)08/09☆原爆でも焼け残る
→1958(昭和33)03/29☆夜、市議会事務局付近より出火。2階の大半を焼失
→のち☆全館が建て替えられる