勢田峠の切通し 宮崎市清武町木原ー鏡洲
サイト「近世以前の土木・産業遺産」宮崎県リストによるデータは、次のとおり。リストは当初「日南市」で整理されていた。日南市教育委員会生涯学習課文化財係で入手した「歴史の道 飫肥街道」資料(旧北郷町発行か)によると、「勢田峠」は宮崎市清武町木原ー鏡洲間の飫肥街道の旧街道にある峠が正である。
日南市役所まで来て、今更、宮崎市へ戻る時間の余裕がなく、勢田峠の現地調査は省略した。資料のみ載せる。そのうち再訪したい。県道27号の鏡洲峠(旧県道の鏡洲峠を「勢田峠」と説明するHPもある)や鏡洲小学校前は、通ってきている(写真3,4)。
勢田峠の切通し せた
宮崎市 <飫肥街道> 切通し 江戸期? 歴史の道百選 当時のまま 清武川〜加江田川間の丘陵を横断する山道の頂部 1 C
(2016年9月19日 追 記)
2016年8月9日に再訪したときは、清武町側「県立みなみのかぜ支援学校」横を行き、街道道がわからず強引に谷間を上がった。尾根道と合い左上に登り、岩穴2つがある峠と思われるところを調査したが、勢田峠の状景写真と違う。岩穴は戦時中の高射砲陣地の防空壕と地元で聞いた(写真5〜7)。
その後、宮崎市きよたけ歴史館に照会。「前田博仁氏が、鉱脈社から出された「飫肥街道」の関係頁や、近年、宮崎市木花のまちづくり推進委員会里山部会が飫肥街道の地図を作成されまして、その中にも写真や地図がありました」ということで、資料を入手した。
勢田峠は、「竹ノ内(宮崎市)−勢田(清武町)間、標高77mの峠」。地図と竹ノ内側「丸野勢田峠入口」写真があった(写真8〜11)。竹ノ内側からが却ってわかりやすいと判断した。
奄美大島の帰り2016年9月10日朝に宮崎市を再び訪問。資料写真の竹ノ内側「丸野勢田峠入口」を確認した。県道339号の「第二竹の内橋」先、星叶バス停から集落奥の渡辺宅まで進む。車庫右横の広い山道。ここが資料写真の場所で、「丸野勢田峠入口」であった。
150mほどの所で広い山道はL状急カーブするので、広い山道を外れ直進して藪内を探す(写真15地点)と踏跡がある。先は明瞭な街道の旧道で、杉の大木があるところを登り縁石を見ながら、やがて鞍部の峠に出る。
飫肥街道「勢田峠」の状景写真と合う。勢田峠の切通しがあった(写真12〜21)。最後の写真は、清武側から見た勢田峠の尾根。