長崎の風景・史跡 (市北西)」カテゴリーアーカイブ

国道202号線沿い (3)東樫山海岸風景

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国道202号線沿い (3)東樫山海岸風景

平成19年8月4日、外海方面の藩境石塚の写真撮影のため出津まで行った。途中で見た海岸などの風景。式見沖神楽島の変化を主に撮る。

東樫山の天福寺は深堀領主が創建か。これより少し登ったところに皇太神宮がある。境内に十字架をつけたキリシタンの碑あり。如何にも樫山らしい。「殉教者茂重翁之碑」は、昭和49年8月吉日、地元関係者が建立。顕彰碑文は次のとおり。墓は三重崎墓地内にあった。

殉教者茂重翁之碑  顕 彰
慶応三年より明治初期に至る信者に対する幕府の迫害は浦上四番崩として有名でペートロ茂重翁も当時聖像隠匿の疑ひにより長崎奉行に連行され厳しい拷問責苦も同志をかばう一念から堪え忍んで牢死なされた信念の人であり殉教者である。依って吾等は百有余年の歴史を顧みて翁の徳望を讃え慰霊の誠を捧げます。

岳カトリック教会 長崎市福田本町

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岳カトリック教会 長崎市福田本町

長崎の教会群が世界遺産に登録されるよう、今、全県的な取り組みが進められている。私の心象の中に長崎市街を少し遠く離れた、ある古い教会の姿が浮かびあがる。孤高な聖堂。

もう30年も前になるだろう。小雪の降る日、岩屋山へ登り小江原から山の稜線を縦走した。稲佐山へは途中から東に尾根を取るが、まっすぐな道が福田方面へ続いていた。ゴルフ場の端に出合い、あまりに広い芝生の上の雪を踏みしめたく、中に入って遠慮しながら芝の端を歩いた。
長崎の外海と島々の眺望がよく、雲上の世界だった。ここは昔の合戦場という。やがてゴルフ場のレストハウスに着き、そこを出た途端、この聖堂に出会った。今、その姿ははっきり思い出せない。質素に小さくまとまっていた。長い苦難の歴史を感じさせ、古く美しい教会だったように思う。

先日、小江からの帰りにここへ寄った。福田との峠となるゴルフ場入口バス停から1.2km。急坂をバイクで上がった。福田本町岳部落。標高は200mほど。しかし、もう昔の聖堂の姿はなかった。昭和45年に建て替えられていた。

HP「長崎の教会」による岳教会の説明は、次のとおり。

沿 革 
明治後期、外海地方(出津)から移住した信徒たちは、神ノ島(木鉢)教会に属していたが、昭和31年(1956)飽の浦教会の巡回教会となる。
現在の聖堂は、昭和45年(1970)建てられたもの。
特 色
遠く長崎半島、神ノ島を見下ろす高台にある。近くにゴルフ場(長崎で最古)があり、人の出入りが結構あるが、近くに教会があるとは殆ど知られていない。こぢんまりとした連帯心の強い教会である。殆どの家庭は、長崎の職場(とくに三菱)に通勤している。過疎化の波に押されている。