長崎のラビリンスな風景」カテゴリーアーカイブ

岩の刻み?  長崎市布巻町寺岳山頂近く

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

岩の刻み?  長崎市布巻町寺岳山頂近く

八郎岳山系の南端、寺岳(標高451.8m)山頂から約30m下ったところに、展望の良い「利作岩」がある。岩面を見ると、名前などいろいろな刻みがある。
もう結構な年だろう。自分と思い出す人がいるかも知れない。

笑 道?  西海市大瀬戸町多以良内郷

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

笑 道?  西海市大瀬戸町多以良内郷

国道202号線で西海市大瀬戸町多以良内郷まで行く。史跡小佐々城跡登り口のすぐ先、国道左側に「造形 笑道? 202」の家があり、庭に展示している。
先のバス停「柳口」には、トトロがいた。

2010年7月の記事は、 https://misakimichi.com/archives/2388
1年ぶりに寄ると、庭の展示が変わっていた。バス停のトトロは盗まれた?らしく、別のかわいいカエル?となっていた。

ニュータウン? 長崎市南部のXXX団地

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

ニュータウン? 長崎市南部のXXX団地

長崎市南部のわが団地。総1007区画。昭和56年(1981)入居が始まる前の写真。ちょうど
30年となった。事業者・売主の当時のパンフレットから。

この航空写真は、「みさき道」がよくわかるように写っています。このあたりの萬延元年(1860)彩色古絵図を、「江戸期のみさき道(往路後半)」の項に載せていますから参照ください。

巨石の民家? 長崎市琴海戸根町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

巨石の民家? 長崎市琴海戸根町

国道206号線、長崎市琴海戸根町の中央幼稚園から左折、100mほど行く。田んぼの右に巨石に囲まれた民家が見える。近くのイチョウ大木も、大きく葉を揺らしていた。
琴海町教育委員会編「琴海町史」平成3年発行の1152頁は、次のとおり。

庭に巨石ある民家(戸根)

高さ、長さ、ともに約6m、幅4mの巨石が庭の一隅にあって、古い民家が建つ。戦中には一斗笊笥(そうけ)10杯分のバッチを干したという。…
(「バッチ」は方言。干し芋、カンコロのこと)

二重の虹撮った 長崎・南部の団地

イメージ 1

イメージ 2

二重の虹撮った 長崎・南部の団地

朝日新聞長崎地域版2011年7月20日付の記事。18日午後7時半すぎ、台風6号の影響でにわか雨が降り、長崎・女の都の空で二重の虹を写している。
私もこの虹を、長崎市南部の団地、自宅から午後7時15分に撮っている。あわてて動画だったので、停止画像をこれ以上拡大できない。

名物煙突? 広瀬酒屋「鶴乃港」の煙突  長与町斉藤郷

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

名物煙突? 広瀬酒屋「鶴乃港」の煙突  長与町斉藤郷

長与町教育委員会編「長与町郷土誌 上巻」平成6年発行の537〜538頁は、次のとおり。
店内展示の古写真は、昭和初期の頃らしい。店前に橋が架かっていた。郷土誌には「かつての広瀬酒屋(1990.9)」の写真がある。後ろの広い庭園跡に、おもしろい石があった。
最後の写真は、長与川河口の堰。広瀬酒屋前から少し上流にある。

名物!  鶴乃港の煙突

長与川の河口から舟津橋・新浦橋にかけての斉藤郷川端一帯、ここはごく最近まで昔ながらの舟津の風情を色濃く残していた。そのなかでも一きわ目立つのが、かつての造り酒屋だった広瀬酒屋の高いレンガの煙突と、古色蒼然とした大きな家屋であった。この家屋も寄る年なみには勝てず、最近新しく立て替ったが、赤い煙突は今も銘酒「鶴乃港」の名を掲げて悠然と立っている。
戦争中この煙突は特に目立つので、再三敵機の攻撃目標となり機銃弾を浴びたらしい。
長与川に影を写しながら、長与の今日の発展を感慨深く見つめているようだ。長与の名物の一つである。