投稿者「misakimichi」のアーカイブ

長 畑 橋  豊後大野市犬飼町長畑 ( 大分県 )

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長 畑 橋  豊後大野市犬飼町長畑

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。県道632号により犬飼町山内先の長小野バス停まで行き、左折する。すぐ先の現橋の右手に平行に架かっている。

№776  長畑橋

犬飼町長畑
柴北川
橋長:22.4m  橋幅:3.6m  径間:17.4m  拱矢:4.8m
架設:1922(大正11)年
成瀬橋を渡り、800m先県道632号線へ左折。1.6Km先長小野入口バス停から左折 100m先、現橋の右手に平行に架かっています。(成瀬橋は・・・国道57号線旧千歳村役場入口から県道668号線へ3.5Km先、現成瀬橋の左下)

現橋の左手、草に埋もれています。
上流右岸側壁石が崩壊していました。

武藤家長屋門  豊後大野市犬飼町長畑 ( 大分県 )

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武藤家長屋門  豊後大野市犬飼町長畑

豊後大野市HPの文化財による説明は、次のとおり。県道632号により犬飼町山内先の長小野入口バス停まで行き、左折して長畑橋を渡り上がって行くと、長畑集落内の武藤家長屋門前を通る。

武藤家門

長尾野の武藤家は元大庄屋で、邸宅北側に所在する。江戸末期の建築と推定され、南側9.25m、東側31.45m、奥行5.55mで金の手に造られ、規模の大きな建築物である。以前は草葺であったが大正時代に瓦に葺替えたという。
所在地:犬飼町長畑
指定年月日:平成17年3月31日市指定(昭和58年1月20日犬飼町指定)

池井路のトンネル  豊後大野市犬飼町栗ケ畑 ( 大分県 )

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池井路のトンネル  豊後大野市犬飼町栗ケ畑

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。県道632号の栗ケ畑入口バス停から谷間奥の栗ケ畑集落へ入る。池井路のトンネルは、場所的には集落の最も上の民家がある下側の栗ケ畑川源流部にある。
私は1枚目写真の民家前を通らせてもらい、井路に下り上流側へたどった。竹林内の崖面に吐き口があり、その高台を越すと、栗ケ畑川源流部といわれるやや広い川原に出る。ここに岩面を掘った呑口があった。取水口はまだ少し上流部にある。
取水口からの帰りは、植林地内の山道を上がった。シイタケ栽培地などあり、最奥と思われる民家がある市道カーブミラー地点に出た。

池井路のトンネル
豊後大野市 (上崩)池井路 素掘トンネル(水路) 長約30m 江戸期? 市教委/WEB 保存状態良好/現役 同上 1 –

なお、遺産リストでは栗ケ畑地区に、次の井手、井路トンネルも登載している。「前田井手のトンネル」は、栗ケ畑川の対岸側にあるが、用水は廃路となって荒れているだろうと聞いているし、「釘野田井路のトンネル」は、地区民に聞いても場所不明なので、豊後大野市に調査をお願いしたい。

前田井手のトンネル
豊後大野市 (小野)前田井手 素掘トンネル(水路) 長32.5m(窓2ヶ所) 江戸期? 市教委/WEB 保存状態良好/現役 同上 1 –

釘野田井路のトンネル
豊後大野市 (向次郎)釘野田井路 素掘トンネル(水路) 長27.5m 江戸期? 市教委/WEB 保存状態良好/現役 同上 1 –

大井手のトンネル  豊後大野市犬飼町栗ケ畑 ( 大分県 )

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大井手のトンネル  豊後大野市犬飼町栗ケ畑

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。県道632号の栗ケ畑入口バス停から谷間奥の栗ケ畑集落へ入る。大井手のトンネルは、場所的には集落の上手側、2枚目写真の農道を下った栗ケ畑川がやや弯曲した部分にあるが、崖で川に降りられないので、市道のだいぶん手前から田畑道や水路をたどって行く。
川岸の吐き口はすぐに確認できるが、上流のコンクリート壁のある取水呑口は、川中を遡って行く。農道から直接下るなら、石垣があるのではしごが必要。

大井手のトンネル
豊後大野市 (原)大井手 素掘トンネル(水路) 長約50m(窓1ヶ所) 江戸期? 市教委/WEB 保存状態良好/現役 同上 1 –

天満社参道橋・寒 須 橋  豊後大野市犬飼町高津原ほか ( 大分県 )

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天満社参道橋・寒 須 橋  豊後大野市犬飼町高津原ほか

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。県道57号犬飼交差点を進み、下の原バス停先から右の県道632号に入る。、柴北の両村橋を過ぎ県道をなお高津原や栗ケ畑の方へ向かうとこの石橋がある。寒須橋は、栗ケ畑入口バス停より右折し1.7km先。

№2,588  天満社参道橋

豊後大野市犬飼町高津原
橋長:1.1m  橋幅:2.0m
単径間桁橋
県道632号線沿い。

№777   寒須(そうず)橋

犬飼町栗ケ畑
栗ケ畑川
橋長:9.7m  橋幅:4.8m  径間:7.2m  拱矢:2.5m
架設:1918(大正7)年
長畑橋から県道632号線へ戻り、県道668号線との合流点から東へ250m。
栗ケ畑入口バス停より左折、1.7Km先。
現・寒須橋の下流側に架かっています。

黒松阿蘇神社鳥居  豊後大野市犬飼町黒松 ( 大分県 )

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黒松阿蘇神社鳥居  豊後大野市犬飼町黒松

豊後大野市HPの文化財による説明は、次のとおり。犬飼町黒松の県道632号沿いにある。後ろは写真は、その先の県道で見た「大野川支流 柴北川源流の碑」など。

黒松阿蘇社鳥居

黒松東区の阿蘇神社入口にある鳥居で、高さ3.15m、石材は太く、笠木の反り及び反増はほとんどない。銘文はないが、古風な特徴から南北朝時代に建立されたと考えられている。
所在地:犬飼町黒松
指定年月日:平成17年3月31日市指定(平成8年9月24日犬飼町指定)

蔵下井手のトンネル  豊後大野市犬飼町柴北 ( 大分県 )

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蔵下井手のトンネル  豊後大野市犬飼町柴北

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。国道57号犬飼交差点を過ぎ、下の原バス停先から県道632号に入る。中九州道下のトンネルを出て約1km進むと、両村橋がある。
蔵下井手トンネルの吐口は、この新橋を渡った根元にあり、南谷からの小川の上をコンクリート水路が跨ぎ、石橋の根元地下をも通っている。呑口は県道を少し進み、両村橋すぐ上流の寺田橋に曲る。橋を渡った脇から取水口へ下る道があり、鉄柵の中に素掘りトンネルを確認できる。

蔵下井手のトンネル
豊後大野市 (柴北)蔵下井手 素掘トンネル(水路) 長約300m(窓4ヶ所) 江戸期? 市教委/WEB 保存状態良好/現役 記録がないため詳細不明/灌漑以外に、酒・味噌・醤油の洗い水、防火用としても使われた/岡藩に灌漑用水が多いのは熊沢蕃山の影響とされる 1 C

両 村 橋  豊後大野市犬飼町柴北 ( 大分県 )

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両 村 橋  豊後大野市犬飼町柴北

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。県道57号犬飼交差点をまっすぐ進み、下の原バス停先から右の県道632号に入る。中九州道下のトンネルを出て、神宿橋から約1km先の芝北川上流に架かる。

№781  両村(りょうそん)橋

犬飼町柴北
豊後大野市指定有形文化財
柴北川
橋長:28.6m  橋幅:3.9m  径間:21.1m  拱矢:7.0m
架設:1938(昭和14)年
樋の口橋より、県道632号線を600m東進、右手。
現・両村橋の下流に平行に架かっています。

高欄が樋の口橋と似ています。
歩道として利用されています。

神 宿 橋  豊後大野市犬飼町柴北 ( 大分県 )

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神 宿 橋  豊後大野市犬飼町柴北

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」大分県の石橋によるデータは、次のとおり。県道57号犬飼交差点をまっすぐ進み、下の原バス停先から右の県道632号に入る。中九州道下のトンネルを出たところが芝北神宿で、新橋の神宿大橋下流にこの石橋が架かる。

№782  神宿橋

犬飼町柴北
柴北川
橋長:27.0m  橋幅:3.8m  径間:21.9m  拱矢:5.4m
架設:1921(大正10)年
石工:川野茂太郎
両村橋より県道632号線を1Km東進。
神宿橋バス停より右折、100m先に架かっています。

現役の橋です。拱矢比0.25の扁平な橋です

神宿(かんじゅく)橋
豊後大野市指定有形文化財
「長谷村ヲ縦貫スル道路ハ東大野村土師ヨリ犬飼町ニ通スル枢要路線ニシテ柴北川ニ架スル橋梁ハ其ノ最モ重キヲナス鎖鑰タリ従来粗本ノ木橋ヲ架シ夏季増水ノ際ハ破損又ハ流失シ不便言可ラサルモノアリ当時ノ郡會議員武藤亀人村長安藤房太郎及村會議員等深ノ之ヲ●シ永久不変ノ石橋架設ノ議ヲ決シタルモ工費多額ニ上リ容易ニ施工ノ機ヲ得ス大正九年度ニ至 現村長安部慶人前計画ヲ継承シ斡旋ノ結果村費ノ負担ニ加ワルニ郡費ノ補助ヲ以テシ更ニ一関係町村篤志者ノ寄附ヲ仰キ翌年三月●●ヲ告ケタルモノナリ今此碑ヲ立ツルニ当リ本橋竣功後満三年ヲ閲シテ毫モ変体異状ヲ見セサルハ村當局者熱心重督ノ述ヲ證スルモノニシテ全ク当初議決ノ精神ヲ貫徹セルモノト謂フヘシ今日人馬始めて水の阻害ヲ免レ路線ノ効用ヲ完ウス建碑ノ企従ニナランヤ乃チ其ノ●●ヲ●シ之ヲ碑面ニ書スト云
大正十三年六月
大野郡長正六位勲六等宇都宮喜六撰并書」
記念碑より

長峰の地蔵道標(下の原道標)  豊後大野市千歳町長峰 ( 大分県 )

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長峰の地蔵道標(下の原道標)  豊後大野市千歳町長峰

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。国道57号犬飼交差点を過ぎ、千歳町に入るとすぐ「下の原」バス停がある。この前の市道を山手へ上がり中九州道のガード下をくぐりまっすぐ進むと、中九州道上の高添第2跨道橋角のところに、この地蔵道標がある。

長峰の地蔵道標(下の原道標) ながみね
豊後大野市 <肥後往還> 石道標(丸彫) 高130㎝(うち、塔身60㎝) 18世紀中頃 市有形 市教委 移設/光背ほぼ欠損、顔が剥離 (右面)「ひご 二十八り」、(左面)「みえの市 三り」/「大乘妙典」と大きく陰刻された台石上に光背付き地蔵坐像の丸彫を載せる 3 C