投稿者「misakimichi」のアーカイブ

東又泉(あがりまたいじゅん)  天城町当部 ( 鹿児島県 )

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東又泉(あがりまたいじゅん)  天城町当部

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島県リストによるデータは、次のとおり。徳之島平土野港から県道83号を南下。瀬滝から三京ダムの方へ左折、ダム大橋手前から天城町当部へ入ると、案内板があり、集落奥の駐車場先に「東又泉」がある。

東又泉 あがりまた、いじゅん
(大島)天城町(徳之島) 当部 湧水 江戸期 WEB(みさき道人)/現地解説板 コンクリート化/現役 徳之島内随一の湧水/薩摩藩亀津代官所の代官がわざわざこの水を取り寄せ美味に感心したとの伝承→「代官水」との別称 2 B

天城町HPによる説明は、次のとおり。

18.東又泉(当部)
アガリマタイジュン(東又泉)は,島内随一の湧き水であり,昔から村人の飲料水は勿論のこと生活用水として重宝がられてきました。因みにその名水の知名度は,薩摩藩当時の亀津代官所にまで知れわたり,その部下のものを遣わしてこの水を取り寄せて試飲し,その美味のとりこになったとの言い伝えがあり,このことから別名代官水とも呼ばれている。

犬の門蓋(いんのじょうふた)  天城町兼久 ( 鹿児島県 )

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犬の門蓋(いんのじょうふた)  天城町兼久

鹿児島県観光サイト「本物の旅かごしま」による説明は、次のとおり。奄美大島の古仁屋港からフェリーあまみで徳之島の平土野港着。県道83号により南下すると、天城町兼久に案内板がある。
西側の海岸を目指すと、「犬の門蓋」展望台に着く。

犬の門蓋(いんのじょうふた)

東シナ海に面したこの海岸一帯は、隆起サンゴ礁が長年にわたる浸食によりできた奇岩や断崖があります。通称「めがね岩」と言われる奇岩や断崖、洞窟、ビーチロックなど変化に富んだ景観は見事なものです。昔、大飢饉のとき、人畜を襲う野犬を海中に投じたという逸話からこのような呼称がついています。

奄美大島のその他の風景・史跡(2)  奄美市名瀬・大和村・瀬戸内町 ( 鹿児島県 )

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奄美大島のその他の風景・史跡(2)  奄美市名瀬・大和村・瀬戸内町

奄美大島のその他の風景・史跡(2)は、奄美市名瀬・大和村・瀬戸内町。写真順に、金久中学校の新しい円形校舎、長瀬トンネル、油井のミヤー広場イビナガシ、油井海岸の倒木、古仁屋港のクロマグロ、古仁屋港から加計呂麻島へ、台風明け古仁屋港からフェリーあまみで徳之島へ

奄美大島のその他の風景・史跡(1)  奄美市笠利・龍郷町 ( 鹿児島県 )

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奄美大島のその他の風景・史跡(1)  奄美市笠利・龍郷町

奄美大島のその他の風景・史跡(1)は、奄美市笠利・龍郷町。写真順に、フェリーきかいで喜界島から名瀬港着、奄美パーク、奄美空港、笠利集落を望む、赤木名湾を望む、打田原天然塩づくり体験場、喜瀬鯨浜、手広海岸、久場立神と千年松

名瀬長浜町の碇石  奄美市名瀬長浜町 ( 鹿児島県 )

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名瀬長浜町の碇石  奄美市名瀬長浜町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島リストによるデータは、次のとおり。名瀬港から県道79号により名瀬長浜町の市立奄美博物館まで行く。県道は手前の長浜町交差点から小宿の方へ左折するが、直進すると市立奄美博物館前に出る。

名瀬長浜町の碇石 なぜ、ながはま
奄美市(奄美大島) 市立奄美博物館 碇石(凝灰岩) 長225㎝ 中世(10-14世紀) WEB(みさき道人) /WEB 屋内展示(元、電柱に転用) 九州と沖縄を結ぶ交易の拠点であったことを示す遺産の一つ/宋・元時代の中国船の石製イカリ 2 C

名瀬幸町の碇石  奄美市名瀬幸町 ( 鹿児島県 )

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名瀬幸町の碇石  奄美市名瀬幸町

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島リストによるデータは、次のとおり。名瀬港から県道79号により名瀬幸町奄美市役所まで行く。市役所裏通りに肥後家はあり、碇石は花壇枠に転用されている。
約15年前、龍郷町秋名の肥後家に所在していたのを移設したと聞いた。

名瀬幸町の碇石 なぜさいわい
奄美市(奄美大島) 肥後家 碇石(凝灰岩) 長326㎝ 中世(10-14世紀) WEB(みさき道人)/WEB 移設(もと、龍郷町秋名集落)/花壇枠に転用 九州と沖縄を結ぶ交易の拠点であったことを示す遺産の一つ/宋・元時代の中国船の石製イカリ/国内に現存する碇石で最長 4 A

大浜海浜公園・小浜キャンプ場  奄美市名瀬小宿大浜 ( 鹿児島県 )

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大浜海浜公園・小浜キャンプ場  奄美市名瀬小宿大浜

鹿児島県観光サイト「本物の旅かごしま」による説明は次のとおり。名瀬港から県道79号により、北西の名瀬小宿大浜に向かう。大浜海浜公園には奄美海洋展示館がある。

大浜海浜公園・小浜キャンプ場

美しいエメラルトグリーンの海とサンゴ礁が砕けてできた白い砂浜。アダンをはじめ咲き乱れる亜熱帯の植物。大浜海浜公園は、奄美市名瀬随一の海水浴場で、遊歩道、展望台なども整備されています。発達したサンゴ礁はシュノーケリングやダイビングに最適で、「日本の渚百選」・日本の快水浴場55選にも選ばれるなど、自然景観に恵まれた海水浴場です。市街地にも近く、キャンプ場・バースハウスなど各種施設が整備されており、気軽に泳ぎに行けます。感動的なサンセットで有名で、海ガメの産卵地やバードウォッチングの穴場としても知られています。また、奄美独自の植物を多数植栽しており、ミニ植物園の様相も呈しています。

大和浜のオキナワウラジロガシ林  大和村大和浜 ( 鹿児島県 )

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大和浜のオキナワウラジロガシ林  大和村大和浜

国文化遺産オンラインによるデータは、次のとおり。名瀬港から県道79号により大和村大和浜の大和村役場前まで向かう。国指定天然記念物「オキナワウラジロガシ林」案内板があり、役場右駐車場の奥まで進み、砂防ダムのところから滝川山の中腹へ登る。かなりきつく、急坂の木道坂段を約253段歩いた場所に大木がある。 

大和浜のオキナワウラジロガシ林 やまとはまのおきなわうらじろがしりん

天然記念物 / 九州
鹿児島県
大島郡大和村
指定年月日:20080328
管理団体名:
史跡名勝天然記念物

オキナワウラジロガシは奄美大島から西表島までの非石灰岩地のみに分布する琉球列島固有のブナ科の常緑高木で、琉球列島の代表的な森林を形成している。本種の樹幹は通直で板根がよく発達し、板根は船の舵、材は建築材として利用されてきた。しかし、戦後の森林伐採により北限域の奄美大島ではまとまった森林はほとんど残されていない。
指定予定地は大和村大和浜の裏山に当たり、南東に面した谷部凹地斜面で、集落のある平坦地から急激に立ち上がった斜面である。尾根筋のスダジイ自然林に囲まれるように生育し、面積約1.5ha内に胸高直径50cm以上の個体が100本程度生育している。樹高30m近く、胸高直径1m以上の個体も見られ、よく発達した森林を形成している。対象地は通称滝川山と呼ばれる神山で、古くから集落で保護されてきた。ここは上水道施設ができるまでは水源涵養林として、また斜面崩壊から集落を守る森林として大切であった。戦後の混乱期においても、周囲の山林が伐採されたものの、滝川山は伐採を免れてきた。
このように、聖域として大切に守られてきた琉球列島の代表的森林であり、北限域の奄美大島で数少ないオキナワウラジロガシの自然林として学術的価値が高く重要である。

和家(にぎけ)屋敷・跡の石塀  大和村大和浜 ( 鹿児島県 )

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和家(にぎけ)屋敷・跡の石塀  大和村大和浜

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島リストによるデータは、次のとおり。名瀬港から県道79号により大和村大和浜の大和村役場前まで向かう。国指定天然記念物「オキナワウラジロガシ林」とともに案内板があり、役場右駐車場の奥まで進むと、「和家屋敷・跡の石塀」が残る。 
大和村中央公民館によると、大和村誌に和家や石塀のはっきりした記録はない。和家は付近の豪族だったが、島役人としてこの地に赴任、明治まで務めた。石塀は前屋敷のを運んで移設したと聞いた。

和家屋敷・跡の石塀 にぎけ
(大島)大和村(奄美大島) <和家> 石塀 (積層積、珊瑚) 長70程度?,高1.8m,幅1.0m 江戸期? WEB(みさき道人) 塀のみ残る/部分的に崩壊 和家: 地域の豪族/正方形に近い切石を少しずつずらしながら精緻に組み合わせた石塀(同じ奄美大島でも大島奉行所や大島仮屋の石塀とは根本的に異なる 2 B

田畑佐文仁隧道・跡  大和村名音 ( 鹿児島県 )

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田畑佐文仁隧道・跡  大和村名音

サイト「近世以前の土木・産業遺産」鹿児島リストによるデータは、次のとおり。「奄美フォレストポリス」は、奄美大島の中央山地にある自然を活かした大和村営の観光施設。ふれあい広場・水辺のゾーン・キャンプ場・マテリヤの滝などがある。名瀬港から県道79号により大和村へ行く
私は宇検村の帰りだったので、大和村名音から上がり、村役場の方へ下ったが、道路工事中もあり、やや悪路であった。県道沿いには多く「フォレスト」という案内板があり、どこからでも行けるようである。

「奄美フォレストポリス」管理棟のあるふれあい広場に出て、「田畑佐文仁隧道・跡」があるのは、そこから先へ下った水辺の広場ゾーン奥。第2駐車場から水生植物園へ下り、最上流の飛び石を渡って森の塔の方へ木道を登る。この塔あたり一帯の山間で、「田畑佐文仁隧道・跡」と荒れた福元用水路跡の一部を確認することができる。場所は現地「水辺の広場案内板」を参照。最後の資料は、「大和村誌」平成22年発行の950〜951頁から。

田畑佐文仁隧道・跡 たばた さぶんに
(大島)大和村(奄美大島) 奄美フォレストポリス <福元用水> 素掘トンネル(水路) 長約20m,長約15m 享保6(1721)頃着手 WEB(みさき道人) 非現役 田畑佐文仁による新田開発(福元盆地への通水)のために造られた用水路(長約0.5㎞)の隧道(2ヶ所) 2 C