投稿者「misakimichi」のアーカイブ

イチマシビラの石畳道  北中城村安谷屋 ( 沖縄県 )

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イチマシビラの石畳道  北中城村安谷屋

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。国道330号北中城村石平交差点から県道81号に入り第一安谷屋交差点まで行く。沖縄道中城IC入口に入る県道29号に右折して南下する。すぐの普天間川の大橋を渡った先の右手白いビルの裏手へ回ると、坂の山道に白い標柱があり、「イチマシビラの石畳道」が残る。所在図参照。

イチマシビラの石畳道
(中頭)北中城村 石畳道 長約70m 1851年以前 WEB 保存状態は良好 一部自然に戻っている/小規模 2 C

北中城村HPの観光案内による説明は、次のとおり。

■イチマシビラの石畳道
安谷屋から普天間川を渡って宜野湾市野嵩にむかう旧道で、現在でも約70mほど石畳道が残っている。名称は原名の池舛原(イチマシバル)に由来する。この石畳道がいつ造られたかは不明であるが、普天間川に架かっていた安谷屋橋の改修が尚泰王四年(1851年)に行われていることからそれ以前からあったと考えられる。

野嵩の石畳道  宜野湾市野嵩3丁目 ( 沖縄県 )

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野嵩の石畳道  宜野湾市野嵩3丁目

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。国道330号宜野湾市普天間小学校前交差点から県道35号に入り安谷屋交差点まで行って、県道29号を少し南下、次の交差点から左折して、普天間川に架かる我謝橋まで下ると、橋手前左上に「野嵩の石畳道」が残る。所在図参照。

野嵩の石畳道 のだけ
宜野湾市 <中頭郡東海道の支道> 石畳道(石灰岩) 長さ約120m→60m,幅2.5m 1458年以前(伝説)→ 18世紀後半に宿道化 市史跡 市教委/WEB 県道29号線の完成により下半分のみ残る 琉球王府時代に整備された首里と各間切(まぎり)の番所(ばんじょ)を結ぶ公道/30㎝内外の丸味を帯びた石を敷き詰める(かなり凸凹) 3 C

西原東ガー  浦添市西原4丁目 ( 沖縄県 )

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西原東ガー  浦添市西原4丁目

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。国道330号浦添バイパスを宜野湾市境近くまで進むと、西原トンネルがある。トンネルを出てすぐローソン反対側角に案内標識170mとあり、左折しながら拝山(うがんやま)公園の方へ上がって行くと、「西原東ガー」の石積井(湧水)に着く。
7枚目以降の写真は、近くにある西原洗濯ガー(昭和2年新築)と、拝山公園。

西原東ガー にしはら・アガリ
浦添市 石積井(湧水) 15世紀初頭→18世紀初頭に石積 市史跡 WEB カーの前にヒンプンがあるのが特徴/小規模 1 B

仲間ヒージャー  浦添市仲間2丁目 ( 沖縄県 )

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仲間ヒージャー  浦添市仲間2丁目

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。浦添市役所前から県道38号安波茶交差点まで行き、県道38号と県道153号の間を直進気味に浦添中学校体育館裏を通る市道を上がって行くと、右手に「仲間ヒージャー」の石積井(湧水)がある。

仲間ヒージャー なかま
浦添市 石積井(湧水) 1731年以前→1935年に水タンク設置 市史跡 市教委 2009年に復元整備 ヒージャーとしては、最古級の起源切石で囲まれている 2 C

安波茶樋川  浦添市安波茶2丁目 ( 沖縄県 )

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安波茶樋川  浦添市安波茶2丁目

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。浦添市役所前から県道38号安波茶交差点まで行き、左折して県道153号に入り北へ少し進む。ファミマ前の反対側角に案内標識約200mがあり、左折して安波茶自治会館前を通り、内閣府浦添宿舎の南下に「安波茶樋川」の石樋井(流下式水源)がある。現在、復元整備工事中だが、石の樋(溝)は確認できた。

安波茶樋川 あはちゃ・ヒージャー
浦添市 石樋井(流下式水源) 不明 市史跡 WEB 荒れた感じ 石の樋(溝)で引水両側に小石垣/小規模 2 C

赤皿ガー  浦添市安波茶3丁目 ( 沖縄県 )

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赤皿ガー  浦添市安波茶3丁目

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。浦添市役所前から県道38号安波茶交差点まで行き、右折して県道153号を少し南下する。茶山団地前バス停手前のコスモパレス近くに2箇所、「歴史の道」や「中頭方西海道」とともに「安波茶橋」の案内標識があり、右下の谷間に下ると、「安波茶橋」の北橋・南橋が架かる。
安波茶北橋を渡る手前から下流側フェンス内の崖を行く道を辿ると、すぐに「赤皿ガー」の小さな石積井(湧水)がある。 

赤皿ガー あかざら
浦添市 石積井(湧水) 琉球王国時代 市史跡 WEB 当時のまま 赤い皿で国王が水を飲んだという故事に因んだ命名/ごく小規模/安波茶橋の下流 1 C

安波茶北橋・安波茶南橋  浦添市安波茶3丁目 ( 沖縄県 )

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安波茶北橋・安波茶南橋  浦添市安波茶3丁目

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」沖縄県の石橋によるデータは、次のとおり。浦添市役所前から県道38号安波茶交差点まで行き、右折して県道153号を少し南下する。茶山団地前バス停手前のコスモパレス近くに2箇所、「歴史の道」や「中頭方西海道」とともに「安波茶橋」の案内標識があり、右下の谷間に下ると、「安波茶橋」の北橋・南橋が架かる。

№2,111  安波茶北橋
浦添市安波茶(あはちゃ)
アブチ川
橋長:3.4m  橋幅:1.9m  拱矢:0.6m  環厚:25cm
架設:

安波茶橋と石畳道
「安波茶橋と石畳道は、1597年に尚寧王の命で浦添グスクから首里平良までの道を整備したときに造られたと考えられています。首里城と中頭・国頭方面を結ぶ宿道(幹線道路)として人々の往来でにぎわい、国王もこの道を通って普天間宮に参詣しました。
橋は石造のアーチ橋で、小湾川に架けられた南橋と、支流のアブチ川に架けられた北橋から成ります。深い谷の滝壺の側に巨石を積み上げる大変な難工事だったと思われます。南橋は沖縄戦で破壊され、北橋も崩壊していましたが平成10年に北橋を修復しました。
橋の下流側には、赤い皿(椀)で水を汲んで国王に差し上げたと伝えられる赤皿ガーがあります。」
浦添市教育委員会

№2,112  安波茶南橋
浦添市安波茶
小湾川
橋長:7.0m  橋幅:3.7m
架設:

棚原歴史公園(宮里家屋敷跡)  西原町棚原 ( 沖縄県 )

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棚原歴史公園(宮里家屋敷跡)  西原町棚原

那覇市街地から県道29号などにより西原町の坂田交差点先まで行く。旧県道で高台の棚原公民館まで左折して上がる。「棚原文化遺産」案内板があり、近くの棚原歴史公園(宮里家屋敷跡)を訪ねた。
公民館にある案内板による「ウァーフル」の説明は、次のとおり。

ウァーフル      
豚の飼育小屋を兼ねた便所である。フールには屋敷でもっとも権威のあるフール神がいると信じられた。夜、家へ帰ると座敷に上がる前に、フールの豚を起こす事によって、魔物を追い払う事が出来ると信じられていた。

棚原の石畳道  西原町棚原 ( 沖縄県 )

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棚原の石畳道  西原町棚原

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。那覇市街地から県道29号などにより西原町の坂田交差点先まで行く。旧県道で高台の棚原公民館まで左折して上がる。「棚原文化遺産」案内板があり、公民館左側が「棚原の石畳道」である。写真は下の町道までいったん下って、登りがけに写した。

棚原の石畳道 たなばる
(中頭)西原町 石畳道(石灰岩) 長27m,幅1.8m 不明 町史跡 町教委/WEB 小規模 2 −

前 の 井  与那原町上与那原 ( 沖縄県 )

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前 の 井  与那原町上与那原

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。国道329号により与那原交差点の先まで行く。次の町道角から右折して与那原町役場前にまず上がり、しばらく下った大カーフ地点から、赤線のとおり住宅地内の路地を進むと、「前の井」の石積井(半月状)に着く。
途中に案内標識がなく、路地多く場所がまったくわかりにくいから、所在地図を参照。

前の井 メエヌ・カー
(島尻)与那原町 石積井(半月状) 19世紀初頭 村史跡 WEB 井戸本体が鉄パイプ傘と金網で覆われている 王府から上納成績優秀な村に送られた「御拝領井」 3 B