里田原遺跡 平戸市田平町里免
国道204号線を平戸口から松浦の方へ向けて走る。田平町里免の松浦鉄道踏切の所にある平戸市消防局田平出張所のすぐ先に「里田原遺跡」の説明板が立っている。
周りは一面の水田地帯。「里田原歴史民俗資料館」の北側に広がる田畑一帯が集落跡で、造成工事中の現場で偶然土器が発見されたのが、壱岐の原の辻遺跡と並ぶ弥生集落発掘のきっかけとなったと云う。
県指定史跡。田畑の中に“支石墓”が、そのまま3基残存している。弥生前期の墓であり、主に九州の北西部に分布している。
長崎県HP「長崎県の文化財」による説明は次のとおり。
里田原遺跡 県指定史跡
指定年月日 昭和48年2月6日 所在地 北松浦郡田平町里免字大田239の3ほか
所有者 田平町
田平町の北部国道204号沿線にあり、現水田面に支石墓が点在し、条里の跡をとどめている。遺跡の中心となる時代は弥生時代中期初頭で、豊富な遺構遺物は初期農村の姿をよく示している。
殊に木製遺物は700点余が出土し、①広鍬・竪杵等の農具は農村の成立と定着を、②ちょうな、よきなどの工具木柄と未完成木器は、専業工人集団と分業化社会の成立を、③案・槽などの食物恭敬具や磨製石剣と把頭飾(剣のつかかざり)等は祭政の首長の存在と階級の分化を示すものとして注目された。