泉福寺洞穴  佐世保市瀬戸越1丁目

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泉福寺洞穴  佐世保市瀬戸越1丁目

国指定史跡「泉福寺洞穴」は、佐世保市瀬戸越1丁目にある。柚木町へ行くためたまたま通りかかり、寄ってみた。
国道204号線瀬戸越交差点から柚木町・伊万里方面の国道498号線へ右折。松浦鉄道の泉福寺駅近くの踏切を渡ると佐世保工業高校前となる。右方に案内標識があり、右折し標識の道順により進む。駐車場はない。
佐世保市教育研究会平成16年編HP「佐世保の歴史を調べよう」による説明は次のとおり。

泉福寺洞穴遺跡

泉福寺洞穴は,1970年に大野中学校の生徒によって発見されました。相浦川の浸食か風化によってつくられたといわれ,大きな4つの洞穴から成り立っています。奥行約5m,夏は涼しく冬暖かな洞穴は大昔の人たちにとって最高の住居だったようです。
その後,1970年7月から10年間にわたって発掘調査されました。その結果,次のようなことが分かりました。

この洞穴は,後期旧石器時代から歴史時代に至るまで断続的に利用された洞穴遺跡。特に細石器に伴って,日本最古の縄文土器である豆粒文(とうりゅうもん)土器を出土し一躍有名になった。科学的年代測定によると,少なくとも12000年前の土器と推定され,現在なお世界のいずれの土器発生年代よりも古いために,縄文土器はおそらくこの土地で作り始められたものと思われ注目されています。

標高90mのアルコース砂岩の岸壁にあるこの遺跡は,風化作用によってできた四個の小洞穴が,大きな一つの岩壁に寄り添うように形づくられ,北風をさえぎり日当たりのよい南向きの斜面にあります。この自然洞穴は,洞穴特有の現象である年間の温度変化の少なさが住みよい居住性を与えたため,石器時代人よりたびたび使用されました。
洞穴の前は急な斜面で谷底の泉まで続き,小高い裏山を登れば相浦川などのながめがよく,生活環境は抜群の場所でした。