さるいて健康ライフ   寄稿  H.YAMANAKA

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さるいて健康ライフ   寄稿  H.YAMANAKA

一昨年「退職者の会会報」にみさき道人さんの江戸期のみさき道のこと、東樫山の藩境石塚、大久保山の天明藩境石塚の踏査が3回にわたり掲載されました。歴史のロマンを感じながら興味深く読ませてもらいました。
丁度この頃、公民館講座「町並みの史跡をさるく」が開講されました。この講座は申込者が多く、運よく抽選に当り受講することができました。講師の江越弘人先生(著書「長崎の歴史」などあり)は滑石村とキリシタンの話しから始まります。

さるくのスタートは滑石口道標です。20cm四方、高さ40cm程の石柱が半ば埋もれるように立っています。滑石公民館正門近くにあります。
左へ三重道、右へ時津道の道標です。ここに立てば私たちに何かを語りかけてくるような気がします。当時の行き交う人の話し声、足音、蹄の音、耳を傾け偲ぶ。これより時津方面へ向かえば打坂峠にさしかかる。

今は国道206号線が走り、時津街道最大の難所といわれたそれらしき箇所はなにも見当たらない。その当時の峠の所在は種々の説があるそうです。滑石村が大村藩であったことも、このとき知りました。
滑石の住人になって27年になる。己の無知、無関心に全くあきれるばかりである。滑石地区には30余に及ぶ史跡や由緒ある墓地などがあるそうです。

今からでも遅くない。さるけ、さるけで我が町に強くなろう。せっかく講座で長崎の街のあちこちの史跡を教えてもらいましたので、また、さるいてみようかなと気持ちを掻き立てています。
減退していく脳のリフレッシュのためにも。そして、健康ライフとして、「五快二発」。
一 快眠、二 快食、三 快便、四 快気、五 快動。次に、一 発声、二 発汗。
これを柱に据えてさるきたい。最後に温め酒を少々いただくことを日々是、楽しみにしよう。

(註) 滑石の史跡案内図は、1988年編纂委員会編「長崎滑石郷郷土史誌」156頁から
1 六地蔵と三尊仏石窟
2 岩屋山参道口(旧時津街道遺構)
3 旧萬象園(道の尾ラジューム温泉)
4 岩屋クラブ跡(被爆者仮救護所跡)
5 高谷正蔵墓碑
6 小干の浦殉教者遺骨発見の地(江東家)
7 平宗橋街道道標(川上家)
8 平宗寺跡「庵の木戸」
9 平宗無縁墓碑(重橋家)
10 平宗落武者供養塔(松本家)
11 旧滑石小学校跡
12 横道街道道標(旧時津街道)
13 横道角の庄屋宅(菊池高谷家・現柿田宅)
14 白髭宮と虚空蔵
15 肥塚酒造場跡
16 打坂峠竹林(旧時津街道の難所)
17 仁田尾供養塔残欠墓碑群(市指定有形文化財)
18 元・井手庄屋(井手家)、七つが倉跡
19 岩屋神社(神通寺・神宮寺跡)
20 滑石大神宮・同社叢(市天然記念物) 西浦上小発祥の地・被爆者滑石仮救護所跡
21 まご山(きりしたん寺の跡と伝えられる)
22 大庄屋跡(大村家庄屋屋敷)
23 しょうげん寺跡
24 観音様(残欠墓碑群−山下宅)
25 寺川内稲荷明神
26 庵寺供養塔墓碑群(山田宅裏山)
27 式見追分手熊道入口
28 地蔵様
29 藤の平墓地
30 山ん神様
31 釈迦堂(堂屋敷)と納骨堂