花城井戸  武富町武富 ( 沖縄県 )

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花城井戸  武富町武富

サイト「近世以前の土木・産業遺産」沖縄県リストによるデータは、次のとおり。武富東港からすぐの公園先道路(「新里村遺跡」へ行く標識がある)により西に向かう。新里村遺跡内左奥に「花城井戸」はある。所在図参照。

花城井戸 ハナックン・ガー
(八重山)竹富町(竹富島) 洞井(湧水) 不明 町史跡 町教委 非現役(水なし) 自然洞穴の奥にある 2 C

HP「竹富島のカー(井戸)」による説明は、次のとおり。

1.ハナックンガー
大舛原(ホーシ)にある東新里村遺跡の西端、イシャーグチの道沿い(東側)にあるハナックンガー(花城井戸)は、島で最も古い井戸です。井戸の傍には「はなすく井戸」と記された石碑が建てられています。そしてその前には丸いサンゴ石をくり抜いた香炉が置かれています。
島建てに関わる重要なウリカー(降り井戸)で、この井戸を中心に新里村は栄えたと言われています。 伝承では、昔、花城村の創始者・タガニドゥンの氏子の娘が新里村に嫁ぎましたが、村に井戸がないため里に戻ってきました。事情を知ったタガニドゥンは新里村で井戸を掘り、嫁いだ娘の記念として与えました。
神里村の井戸ですが、花城村の人が掘ったためハナックンガーと呼ばれるようになりました。

現地説明板「新里村遺跡」は、HP「竹富島の石碑・説明看板 (東集落・北&東)」によると、次のとおり。

竹富町指定史跡 新里村(シンザトムラ)遺跡  平成3年9月11日指定
本遺跡は「花城井戸(ハナックンガー)」という井戸を中心にして、その東側と西側に広がる集落遺跡で竹富島の集落の発祥の地といわれています。
昭和61年度・62年度に沖縄県教育委員会により発掘調査が実施され、遺跡からは大量の土器をはじめ、中国製陶磁器(白磁碗、青磁碗、褐釉陶器)、須恵器、鉄鍋、鉄製のヘラ、刀子(小刀)が出土しています。
これらの出土遺物から井戸の東側は12世紀末〜13世紀、西側は14世紀に形成された集落であることが明らかになりました。
井戸の西側、14世紀の集落には石積みが残っており、その石垣で囲まれた各屋敷と屋敷は通用門(出入口)で結ばれていて現在の集落とは異なった形態をなしています。
[地図]     竹富町教育委員会

根志原(ニシャール)と大舛原(ホーシ)にまたがる新里村遺跡は、タカニドゥンが掘ったと伝えられている花城井戸(ハナックンガー)を中心にした集落です。現在の集落形態と異なり、竹富島の集落の変遷を知る上で貴重な学術的価値のある遺跡です。平成3(1991)年、竹富町の史跡に指定されました。