食のたからもの再発見プロジェクト第6弾「ゆうこう」  東京財団HPから

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食のたからもの再発見プロジェクト第6弾「ゆうこう」  東京財団HPから

東京財団は、日本財団および競艇業界の総意のもと、極めて公益性の高い活動を行う財団として、1997年に設立された。研究事業として「食のたからもの再発見プロジェクト」が組まれ、第6弾「ゆうこう」が取り上げられた。
昨年12月末、料理研究家の黒川陽子氏が長崎を現地取材し、同財団HPにより紹介されている。次はその一部である。
詳しくは、http://www.tkfd.or.jp/research/sub1.php?id=52

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食のたからもの再発見プロジェクト第6弾「ゆうこう」

「食のたからもの取材レポート」第6弾は、「ゆうこう」のレポートをお届けします。日本では、ユズやその近縁と考えられる香酸カンキツ(レモンのように主に調理用に利用されるカンキツ)の在来種が、屋敷の庭木の1つなどとして古くから各地で自給的に栽培され、酢の物や香り付け、薬味などとして食文化に彩を加えてきました。「ゆうこう」は、近年、長崎市土井首地区と外海地区に伝わる独自の在来種であることが確認された品種で、日本の香酸カンキツが元来持っている様々な特徴を受け継いでいます。自給的な食材の大切さや現代の暮らしを見直す上で私たちに多くの示唆を与える「ゆうこう」とその再生の取り組みについて、料理研究家の黒川陽子氏が取材しました。

————— <目次> ——————
1.なぜ、たからものなのか
2.どうやって作られているのか
3.味を育む背景や用途について
4.どこで味わい、買うことができるのか/5.人物紹介
6.「香酸カンキツ」文化マップ
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1.なぜ、たからものなのか

■ 歴史的背景

香酸カンキツとは、レモンやライムのように、カンキツ類の中で酸含有量が多く優れた香気を有し、主に調理用として利用されるものを指す。日本において、最も代表的なのはユズである。原産地は中国とされるが、かなり古くから日本に渡来し、奈良・平安時代には既に植えられていたことが確認されている。日本には、ユズの他、ユズの近縁と考えられる地域独自の品種が多く発生し、世界的にみても独特の香酸カンキツが発達している。徳島県のスダチ、大分県のカボスなど地域在来の香酸カンキツが西日本を中心に古くから栽培され、酢の物や香り付け、薬味などに利用されてきた(*1)。「ゆうこう」は、最近になって「再発見」された在来香酸カンキツの一つである。

「ゆうこう」の外見は、ユズやカボスに似ており、熟すと外皮も果肉もレモンのような鮮やかな黄色になり、丸みのある酸味と水分、種の多さ、日向夏と同じように果皮の白い部分も食べられるのが特徴で、成熟果の果皮にはザボンまたはユズに似た甘い香りがする(*2)。

来歴は名称の意味や由来を含めいまだに不祥で、一説にはユズやザボンなどの自然交配で偶発したものと言われている。実生で無性繁殖する「ゆうこう」の持つ多胚性という特性のため、樹齢100年を超える「ゆうこう」の実生樹が複数本現存しており、江戸時代後期から明治初期には、すでにあったのではないかと考えられている(*3)。

「ゆうこう」は、長崎県長崎市の土井首(どいのくび)地区と外海(そとめ)地区の2つの地域でその存在が確認されている。2つの地域は、江戸時代、同じ佐賀領であったという共通点があるが、20km近く離れていて、それぞれ独自に発展してきたとされている。なお、同じ佐賀領で、現在、佐賀県唐津市馬渡島(まだらじま)にも、野生化した「ゆうこう」が確認されている。土井首地区のうち深堀の南部の山奥の大籠地区や小ケ倉の山奥に大山という隠れキリシタンの集落があり、外海から逃れて住み着いたものであり、馬渡島も外海の隠れキリシタンが移住したという3地区に歴史的な共通性があるが、外海の隠れキリシタンが多く住みついた五島にゆうこうの生息は確認できていないので、決定的な因果関係は確認できない。土井首と外海のどちらが原木なのかもまだ、未確認である。

土井首では、ざぼんや夏みかんなどの他のカンキツ類と一緒に屋敷の敷地や畑に植えられ、自給的に利用されていたが、その他、道端などあちらこちらに「ゆうこう」があったといわれている。これは、鳥が「ゆうこう」をついばみ、種を運ぶなどして自生していったからだと地元では考えられている。

外海でも、屋敷の敷地や畑に古くから植えられ、自給的に使われていた。また、キリスト教徒が多く住む外海では、隠れキリシタンを含むキリスト教との関連が深いことが推測されており、村人たちの貧困生活を見て布教により地域住民の暮らしの向上に尽くしたフランス人宣教師ド・ロ神父(1840年〜1914年)が広めたと考えている人もいる。  

「ゆうこう」の用途については、どちらの地域でも、酢の物や鰯などの青魚の調味料、子供のおやつや飲み物代わり、お風呂に浮かべたり、風邪をひいたときなどの薬の代わりとして愛用されてきた。長崎では、一般的に、香酸カンキツは、ダイダイやユズが使われてきたが(*4)、2つの地域では、風味が柔らかく食材の味を引き立たせるので、「ゆうこう」が一番使いよいと言われている。また、どちらの地域でも、ダイダイの導入以前から「ゆうこう」があったと言われている。

しかし、1960年代に入り、第1に、温州みかんの導入・産地化に伴い、交雑が恐れられたこと、第2に、手軽に購入・利用できる酢などの調味料が普及したこと、第3に、野菜用の畑を増反するのに邪魔となったこと、第4に、樹勢が強く高木となり、実が採取しにくいことなどから、「ゆうこう」は急速に地域から姿を消していった。土井首においては、都市化・宅地化の進展が「ゆうこう」の衰退に拍車をかけた。

こうして、「ゆうこう」が絶滅の危機に瀕する中で、2001年に当時長崎市役所土井首支所長兼地区公民館長であった川上正徳氏が「ゆうこう」の存在を知り、長崎県果樹試験場などと連携して調査が実施されたのをきっかけに、2つの地域を中心に「ゆうこう」を守り、再生する取り組みがはじまった。

現在、「ゆうこう」の再生に取り組んでいる人たちは、いずれも、「「ゆうこう」は、地域に自生的に存在し、自給的に使われているものだったので、その大切さがわからなかった。しかし、絶滅の危機に瀕してはじめて、地域における食文化や生活、歴史を特徴づけるものであり、なくてはならないものであることがわかった。」と語っている。

今日の日本において、地域の食文化や生活において大切ではあるが、自給的な性格が強いため、生産性や経済性が重視されるようになるにつれ、衰退、さらには、絶滅の危機に直面している食材は少なくないと思われる。特に、元来、屋敷の庭木の1つなどとして植えられ、調味料や薬味として自給的に利用されてきた香酸カンキツなどは、そうした傾向が強いといえるが、自給的な食材の大切さや現代の暮らしの中での見直しを考える上で、「ゆうこう」とその再生の取り組みは、私たちに多くの示唆を与えてくれると思われる。

● 他の香酸カンキツとの比較
ゆず・ユコウ・ゆうこうの栽培される香酸カンキツの果実形質比較
「ゆうこう」とよく比較されるものを選抜)
(上からユズ、ゆうこう、ユコウ)               
(提供:独立行政法人果樹研究所・根角博久氏)

「ゆうこう」という名前から、徳島県で栽培されているユズの近縁種で、果汁を食酢として利用する香酸カンキツ“ユコウ”と間違えられることがあるが、果実外観、果皮、果肉、種子の形質から、形態学的にも成分的にも異なることが、独立行政法人果樹研究所の根角博久氏らにより明らかにされ(*5)、長崎の2地域にしか存在が確認されていない「新種」として紹介された。

2.どうやって作られているのか

■ 生産状況

2007年12月現在、原産地の2つの地域で確認されている「ゆうこう」の樹は、土井首地区52本、外海地区64本の計116本である。2007年に確認された果実の数は、全体的には不作の年と言われながらも、およそ土井首地区で960個、外海地区で906個となっており、1樹で200個の果実をつけるものも3樹あった。近年、「ゆうこう」再生の取り組みが進められる中で、この他、両地域の母樹園で計220本の苗木が育成されている。また、両地域とも自家用として使っているだけで、加工品を含め、販売はされてこなかったが、外海地区にある道の駅「夕陽が丘そとめ」では、2007年12月に初めて消費者へ本格的に「ゆうこう」が売り出されたが、家にある樹木から採取したものを販売しているため、1日20個程度にとどまっている。

■「ゆうこう」再生の取り組みと活動内容、生産者

「ゆうこう」の「再発見」は、長崎市役所土井首支所長兼地区公民館長であった川上正德氏(左写真)が、2001年に土井首地区に深堀藩の殿様(佐賀藩家老)が佐賀藩への往来に使った「殿様道」を調べに山に入ったのがきっかけだった。当時、土井首地区連合自治会会長だった小中龍徳氏から、道端にある木からもいでもらい、食べたのが「ゆうこう」であった。川上氏にとって、「ゆうこう」は、はじめてみるカンキツであり、見てくれはよくないが、夏蜜柑にも似た独特の味がした。その果実の正式な名前や名前の由来、特徴など詳しいことが知りたくて、「NHK趣味の園芸」へ「ゆうこう」の写真を送ったところ、(独)農業・食品産業技術総合研究機構果樹研究所カンキツ研究興津拠点研究支援センターの根角博久氏の目にとまった。それがきっかけとなり、根角氏と川上氏らによる「ゆうこう」についての調査が開始された。その後、ほどなくして、根角氏が長崎県果樹試験場に転勤し、本格的な調査研究が始まり、「新種」であることや他の香酸カンキツと比較した特徴などが明らかにされた。同時に、現地踏査に基づき、「ゆうこう」の分布図や分布表を作成し、「ゆうこう」の保全のための基礎資料としている。

川上氏は、市役所を退職された現在も、休日になると、地元の方々と連れ立って、新たな「ゆうこう」の樹を探しに出かけ、分布図や表の確認や更新をおこなっている。また、2つの地域における「ゆうこう」再生の取り組みのよきアドバイザーとなって活動を盛り上げている。  (以下略)