能古島の鹿垣 福岡市西区能古
サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。能古島(のこのしま)は、博多湾の中央に浮ぶ島。福岡市営渡船(フェリー)が、福岡市西区の姪浜旅客待合所(能古渡船場)と能古島を結ぶ。1日23便(日祝日は21便)、所要時間約10分、片道運賃大人230円。
「能古島の鹿垣」説明板は、2箇所にある。能古渡船場から展望台入口に上がるバス通りの途中と、その先から左へ案内標識により奥に入る。福岡ひまわりの里への車道であるが、こちらが壮観だった。
能古島の鹿垣 のこのしま、ししがき
福岡市(西区)(能古島) 鹿垣(土塁,石垣) 東西約2㎞,高2mの土盛りの北側に30〜50㎝大の石,その前面に幅3mの溝 天保7(1836) 市教委 現存するのは長600m程度 福岡藩の鹿の狩猟場/田畑への鹿の被害が著しかったため、島を南北に分断する石垣を築いた 2 B
福岡市HPの文化財による説明は、次のとおり。
鹿 垣 西区
江戸時代の後期、能古島は黒田藩の鹿の狩猟場であった。ところが田畑への鹿の被害が著しかったため、東の北浦から西の白鳥までの東西約2kmにわたり島を南北に分断する石垣を築いた。これが現在も残る鹿垣で、天保7年(1836)に完成したという。
その構造は高さ2mの土盛りの北側に30〜50cm大の石を積み、その前面に幅3mの溝を掘ったもので、これで鹿が島の南部に出るのを防いだ。幕末にはグラバー(1838ー1911)なども訪れ、狩猟をしたというが、昭和20年頃を境に鹿は全滅した。
能古小・中学校と展望台入り口の間の道で鹿垣が切れた場所に説明板が設置されている。また鹿垣の北側、島の中央頂部に東西約350mにわたって土塁が残り、島の人は「古土手」と呼びならわしている。