新村のエノキ  相良村柳瀬 ( 熊本県 )

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新村のエノキ  相良村柳瀬

熊本県HPの地域発 ふるさとの自然と文化による説明は、次のとおり。人吉市から県道33号により相良村柳瀬橋まで行く。橋手前から村道を川辺川下流側へ下ると、くまがわ鉄道川村駅手前の新村にこのエノキがある。
現地説明板は写真のとおり。

新村のエノキ(しんむらのえのき)  相良村

所在地 球磨郡相良村柳瀬
新村のエノキとアサの話

○ 新村のエノキ
十島菅原神社から球磨川鉄道をわたり右に折れて、球磨川の堤防ぞいに新しくできた田んぼの中の広い道を、川村駅を右手に見てしばらく進むと、急に狭くなるところが出てきます。その角に大きなエノキが立っています。それが「新村のエノキ」です。このエノキは平成3年11月11日に“ふるさと熊本の樹木”に指定されています。幹まわり2、75m、樹高(じゅこう)約23m。以前このエノキの下に「オイデガマ」または「ウヲダテ釜」と呼ばれる大きな釜をすえて、その上に大きなおけ(高さ約3、5m)をかぶせ、アサを蒸していたそうです。「オ」とか「ウヲ」というのはこの地方でアサのことを言います。また「オイデガマ」の「イデ」というのは“ゆでる”という言葉が変わったものです。つまり「オイデガマ」は“アサをゆでる釜”といった意味があります。そして蒸(む)し上がるとこのエノキの枝に縄をかけておけを引き上げるのに使っていました。この「新村の榎」の土地の持ち主である堀田冨男(ほりたとみお)さんによれば、以前は縦型の桶を使っていたそうですが、その後横型の「麻箱(あさばこ)」に変わったそうです。また、アサは春の彼岸(ひがん)頃に種をまき、7月の土用(どよう)のとても暑い時期に1丈(いちじょう)つまり3、3mほど伸びたアサを刈り採って蒸していたそうです。この「新村のエノキ」でアサを蒸していたのは1955年頃までだったそうで、今はその現物は残っていませんが、山江村歴史民俗資料館に行くと横型の「麻箱」が展示してあります。

○ 球磨地方のアサ
山江村歴史民俗資料館の菖蒲和弘さんによると、球磨地方は古い昔からアサの産地として有名だったそうで、“球磨”の書き方に“求麻”という字をあてて“くま”と呼ばせているのが明治8年に作られた「球磨郡村地誌」に載っているそうです。とれたアサは皮をはぎ、天日(てんぴ)に干した後、灰を入れて煮られ、やわらかくなった皮は川で荒皮(あらかわ)をはがされて乾燥させ、製品して出荷していたそうです。残った芯(しん)の部分はアサガラとよばれ、子どものへその緒切りや提灯(ちょうちん)の線香(せんこう)立てに使っていたそうです。また、葉は集めて燃やし、その煙を病人に浴(あ)びさせて治療に使っていたとも言われているそうです。さらに、この葉はいい堆肥(たいひ)として田の肥料にも使われていたと話されていました。現在のアサの生産地は主に島根県出雲地方だそうです。
アサはクワ科の一年草、花や葉から麻薬がとれることから栽培は許認可制となり、球磨地方では栽培されなくなりました。通常アサとして使われているのは亜麻(アマ)の方で、日本では17世紀頃持ち込まれて栽培され続けています。こちらは、アマ科の植物です。

○ エノキ
ニレ科の落葉高木で、大木になると20mを越えます。花の時期は4月〜5月で、黄色い花をつけます。葉は左右に分かれ交互に着いていて、3本の葉脈が目立っていて縁にギザギザがあり、先はとがっています。果実は5〜6mmで赤っぽく、10月ごろつけます。昔はこの果実を空気鉄砲に使って遊んでいたそうです。「オイデガマ」には、なぜかきまってこのエノキがあって、縄を掛(か)けるのに使われました。

参考文献
・『野外観察ハンドブック 校庭の樹木』 岩瀬徹・川名興 全国農村教育協会 1991年
・『相良村誌(自然編)』 相良村誌編集委員会 相良村 1994年
・『ヤマケイポケットガイド13 野山の樹木』 姉崎一馬 山と渓谷社 2000年
・『Microsoftエンカルタ総合大百科2003』 Microsoft Cor