深田の魚背岩(ぎょはいがん)  あさぎり町深田西 ( 熊本県 )

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深田の魚背岩(ぎょはいがん)  あさぎり町深田西

熊本県HPの地域発 ふるさとの自然と文化による説明は、次のとおり。県道33号によりあさぎり町深田西へ行く。私が撮影したのは、古町橋の少し上流、立岩手前の県道上からとその対岸あたりから。

深田の魚背岩(ふかだのぎょはいがん) あさぎり町

所在地 球磨郡あさぎり町深田西
球磨川に巨大な魚の群れが見える
◆あさぎり町・深田西の古町橋から球磨川をのぞいてみると・・
古町橋の上から球磨川をみると、水面から上に出て見える川底の岩が巨大な魚の群れのように見えます。他の場所でも小規模には見られる風景かもしれませんが、この場所の風景は非常に大規模で、長さ5・6mほどの巨大な姿が多数見られます。その様子を球磨人吉の地質研究家・原田氏は「魚背岩(ぎょはいがん)」と呼んでいます。
◆魚背岩ができた原因について
深田周辺の地層には、加久藤溶結凝灰岩(かくとうようけつぎょうかいがん)と呼ばれる岩石があります。古町橋周辺の川底もそうです。溶結凝灰岩のつくる地形で代表的なものは、ポットホール(甌穴)と呼ばれる丸いくぼみですが、この古町橋周辺では少しちがった特徴になっています。このような地形ができた原因は、球磨川の川底を流れる泥砂や石と球磨川の水流です。土砂や石は、川の流れに沿いながら川底の熔結凝灰岩を傷つけ、削り取って行きます。川の水流が豊富で速かったために、一カ所を丸く削りこむのではなく、溝状に細長く深く削られ、1匹1匹の魚をつくり出しました。こうして魚背岩ができたのです。
◆加久藤熔結凝灰岩について
古町橋の上流300mほどの県道わきに、立岩と呼ばれる溶結凝灰岩の大きな岩があります。そして道向かいの崖も溶結凝灰岩でできています。これらの溶結凝灰岩は、ここから約20km南にある加久藤盆地を噴火口とした、大噴火によってつくられた火砕流堆積物(かさいりゅうたいせきぶつ)です。時代的には、約30数万年前の第4紀・後期更新世と考えられています。この古町橋周辺では、溶結凝灰岩の中に直径2〜3cmの軽石やカクセン石の斑晶がみられます。色が灰色で、溶結度が高いのが特徴です。
また、あさぎり町深田地区の溶結凝灰岩は、地域の人たちからは「深田石(ふかだいし)」と呼ばれ、生活の中に石垣や石臼(いしうす)などの石材として利用されていました。
参考文献
・深田村誌編纂委員会 『深田村誌』 深田村教育委員会 1994
・『日本の地質9「九州地方」』 日本の地質「九州地方」編集委員会 共立出版 1992
・町田洋ほか 『日本の地形7 九州・南西諸島』 東京大学出版会 2001
・田村実ほか 『土地分類基本調査 5万分の1表層地質図「人吉」』 熊本県 1982