畳屋町の石敢當  臼杵市二王座 ( 大分県 )

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畳屋町の石敢當  臼杵市二王座

サイト「近世以前の土木・産業遺産」大分県リストによるデータは、次のとおり。臼杵市街の八町大路(中央通り商店街)、市営畳屋町駐車場のところに立つ。

畳屋町の石敢當 たたみや
臼杵市 石敢當(隅丸型) 高140㎝(塔身のみ),幅39㎝,厚14㎝ 明治20代の再刻 〔享和3(1803)以前〕 市有形民俗 WEB 現存遺物は明治期に建立されたもの 建立当時は木製、江戸期に石造なるが西南戦争で破壊/享和3に岡藩の儒学者・唐橋君山らが編纂した『豊後国志』には、戦国武将・大友宗麟が天正3(1575)に建立したと記載(この時期の書物には意図的な“誤解”を多いので間違いの可能性も大きいが、享和3に存在していたことは確実)→日本最古の石敢當との記載が時折見られる

臼杵市HPの文化財>ふるさと再発見による説明は、次のとおり。

石敢當の塔(せっかんとうのとう)

畳屋町本通りの仏具店と家具店の間に細い路地があり、掛町へと抜けています。この路地を畳屋町の通りから十メートルくらい入ると左手の鉄格子越しに石段が見えます。ここが養元山八幡社です。この八幡社境内に「石敢當」の塔があります。
「石敢當」は向かうところ敵無しという意味で、唐の時代にはじまりこの三字を石に刻んで路傍や橋畔などの要害のところに建てておくと災禍を除くといわれています。
塔は凝灰岩でできており高さは約1.6mあります。言い伝えによりますとこの塔を臼杵にもたらしたのは明(中国)の人だとか。はじめは市浜の呑碧寺か安養寺の門前にあったものが、この境内に移され、あるいは戦火に遭って再建されたともいわれています。
文字は名筆です。昭和四十二年に市の文化財に指定されています。
養元山八幡社の祭礼が三月十一日に行われ町内の若者によって獅子舞も行われます。