轟泉水道〔マス、落し口、樋管橋、水道塘、井戸〕  宇土市宮庄町、神馬町、石橋町ほか ( 熊本県 )

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14

イメージ 15

イメージ 16

イメージ 17

イメージ 18

轟泉水道〔マス、落し口、樋管橋、水道塘、井戸〕  宇土市宮庄町、神馬町、石橋町ほか

サイト「近世以前の土木・産業遺産」熊本県リストによるデータは、次のとおり。宇土市役所前から宇土小学校の先まで進むと、轟水源の案内標識がある。石樋管の展示物は、轟水源にあった。
轟泉水道の石樋管は、これから水路を辿ると、宇土高校や門内町の武家屋敷表門前など通っていることがわかる。本町1丁目バス停近くに水道塘説明板があり、宇土高校へ路地を進むと、石蓋列やマスなど顕著に見学できる。

轟泉水道〔マス、落し口、樋管橋〕 ごうせん
宇土市 轟泉水道 瓦質管→馬門石の樋管 延長4.8㎞ マス:3尺四方、10数ヶ所 寛文3(1663)→明和6(1769)改修 市史跡 市教委 保存良好、残存数減少 宇土藩初代藩主・細川行孝/轟水源→(松橋焼の土管)→藩士の屋敷内の井戸、町人の共同井戸に引水(飲料水)/その後、管の傷みが激しくなり、5代藩主・興文が馬門石製の樋管に交換/国内最古級かつ現役の上水道/連結部に「がんぜき(一種の三和土)」を使用 2 A

轟泉水道 〔水道塘〕 ごうせん・すいどうとも
宇土市 轟泉水道 石樋管の石蓋列(馬門石) 長約100m 明和6(1769) 市史跡 市教委 石管、「がんぜき」が視認できる 地形の関係で、生活道路の中央部に轟泉水道の暗渠の石蓋が一列に並んでいる 2 B

宇土市デジタルミュージアムによる説明は、次のとおり。

轟水源地及び樋管  とどろきすいげんちおよびひかん

区分: 宇土市指定史跡(昭和33.3.14)
解説:
宇土町の水は飲用水に適しなかったため,寛文3年(1663)宇土藩初代藩主細川行孝の時,松橋焼の陶管を使った水道管を造り,轟水源から約3キロメートル離れた宇土の町中まで飲用水を引きました。
それから100年程経つと水道管の破損箇所から雨水が入り込み,水道水の濁りや水漏れが目立ってきたため,宇土藩5代藩主細川興文(おきのり)の時,馬門石をくりぬいた水道管に替える全面改修が行われました。
行孝代に建設され,興文代に改修された轟泉水道は,人々に飲用水をもたらしただけでなく,田畑の灌漑用水としても用いられました。現在も使われているこの水道は,使用中の上水道としては日本最古といわれています。
関連: 轟水源井戸・轟水源・紙芝居「轟泉水道物語」
所在地: 宇土市石橋町,神馬町,宮庄町他