長崎の古写真考 目録番号:5867 対馬(1) ( 長崎県 )

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5867 対馬(1)

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号:5867 対馬(1)

対馬関連作品は、ほかに目録番号:5869(2)、5870(3)、5876(4)、5877(5)、5878(6)がある。

■ 確認結果

目録番号:5867「対馬(1)」は、撮影地が長崎県対馬の6作品の1枚である。画像解説がなく、撮影者・撮影年代とも未詳となっているが、現在の対馬市美津島町尾崎漁港から撮影していると思われる。
先般4月22日、対馬を訪れ現地確認をしたが、古写真左下の三角形の島を大島にある「都々智(つつち)神社」(里宮)とすると、状景が現地写真2のとおりやや合わなく、確証を得られず調査保留とした作品。

撮影地はどこだろう。今、ほかの人のブログを見て気付いたが、現地写真3の黄囲線内のとおり、やはり美津島町尾崎漁港からの風景だろう。次の尾崎漁港岸壁からの写真を参照。
投げ釣り戦記 2008-10-29  http://blog.goo.ne.jp/jca1/e/425385776b539b0445951f91f2debbd4
古写真の撮影地は、大島「都々智神社」対岸となる当時の尾崎海岸あたりからと考えられる。現在は広い海岸埋立地となり、公園や高い防波堤があって状景確認ができなかった。

尾崎漁港は浅茅湾の西の入口にある。背景の左側遠く高い山は、対馬の名峰「白嶽」だろう。ここなら全体の状景が合う。問題は古写真左下の三角形の島。私は大島「都々智神社」ではないかと思っていたが、そうではない。現地写真3のとおり、撮影地尾崎岸壁の先に写る沖波止の岩礁類。沖波止の建設のため、この島は削られて低くなったのではないだろうか。地元の検証をお願いしたい。

この作品は、本ブログ次も参照。1890年、イギリス海軍の軍艦ヴァーノン号が対馬の浅茅湾に停泊した。撮影者は同じく、この軍艦の見習い将校ヘンリー・スチュアートが撮影した対馬の写真の1枚である。
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5878 対馬(6)
https://misakimichi.com/archives/4549
長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:5869 対馬(2)
https://misakimichi.com/archives/4550