江島地先の荒籠1・2 久留米市城島町江島
サイト「近世以前の土木・産業遺産」福岡県リストによるデータは、次のとおり。青木中津大橋交差点から筑後川左岸沿いの県道711号を上流へ約600m進む。江島バス停があり、河岸の船着場へ降りる。左右に江島地先の荒籠が確認できる。下流に写るのは青木中津大橋。
(写真 1〜 4) 江島地先の荒籠1 えしま、あらこ
久留米市 筑後川(左岸) 石水制 長約45m 江戸中期 筑後川河川事務所 保存状態良好 筑後川の荒籠群(小型) 2 C
(写真 5〜 9) 江島地先の荒籠2 えしま、あらこ
久留米市 筑後川(左岸) 石水制 長約25m 江戸中期 筑後川河川事務所 保存状態良好(天端をC補強) 筑後川の荒籠群(小型) 3 C
補足すると、荒籠は上流から下流にかけて、1,2…と数えるから、掲載写真もその順とした。そうすると、「江島地先の荒籠2」は、HP「筑紫次郎の伝説紀行」による「おせん荒籠」である。
次を参照。古写真(10枚目)も同HPから載せたが、「頼母荒籠」は旧三潴町ので、「おせん荒籠」と別場所の荒籠のよう。 http://www5b.biglobe.ne.jp/~ms-koga/064arako.html
「夏ですから、少し怖いお話しとまいります。それも江戸の女が久留米で殺される。男の我がままと女の一途が産んだ悲劇の結末は…
時は慶応から明治に移って間もなくの頃でございます。筑後川岸の江島(現城島町)から突き出た荒籠あらこに、若い女の他殺体が引っかかっているのが発見されたのです。…」
伝説は、という話だが、地元で「おせん荒籠」を知っているのは、古い漁業者だけとなった。HP筆者も最近亡くなられたと聞いた。注意するのは、この「江島地先の荒籠1・2」は、干潮時だけしか姿を見せない。私が最初の調査でわからなかったはずである。2回目朝も潮が満ちかけもう確認できず、数日過ぎた旅行帰りに再び寄って、やっと対面することができた。地元漁師が「おせん荒籠」は、ここと言うから、場所は間違いないだろう。