白石神社と宝物展示館 みやき町白壁
国道34号白石東交差点から南の茂安通り市道を山手へ上がって行くと、白石神社がある。みやき町観光情報サイト「みやき」による説明は、次のとおり。
白石神社
佐賀藩の歴史を彩る、白石鍋島家ゆかりの神社
白石神社は北茂安校区・白石地区にある歴史ある神社です。文政6年(1823年)白石鍋島家第6代鍋島直章公により創建され、祭神は白石初代邑主鍋島直弘公、白石焼の先覚者である鍋島直暠公、土木治水の神・成富兵庫茂安公の御三体が合祀されています。
神社の境内へ続く参道の石段は、広い横幅に比べ、一段の高さは15cm程度で、警護の侍が馬に乗ったままで参拝できるよう、馬の脚に合わせて造られています。
由来
佐賀藩は肥前国の佐嘉・神埼・小城・杵島・藤津・三根全域と養父・松浦、高来、彼杵の一部を合わせ持った
(35万7千石を領有していた)外様大藩でした。
この領地を3支藩(蓮池、小城、鹿島)と鍋島4庶流家(白石、川久保、村田、久保田)、龍造寺4家で守っていました。
この白石神社に祀られている鍋島直弘公は、初代佐賀藩主・鍋島勝茂の四男で、初代白石邑主(ゆうしゅ)です。父、勝茂の信頼厚かった家臣の成富兵庫茂安は、直弘の教育係として見込まれ、直弘は幼少の頃に養子として成富家で育てられました。
寛永11年(1634)茂安が75歳で没すると翌年白石邑(現在の北茂安校区・白石地区)に居をかまえ、のちに鍋島姓に戻った直弘はこれよりのちを白石鍋島家と称しました。(ちなみに「白石」という地名は成富兵庫茂安がかつて杵島郡白石(現在の杵島郡白石町)に知行地をもっていた事に由来するそうです。)
文政6(1823)白石鍋島家6代目邑主、直章公はこの地に邑祖直弘公を祭神とした社殿を建立し、その後、筑後川の治水土木事業に功績を残した成富兵庫茂安公を合祀しました。
成富兵庫茂安公とは…
白石神社は、治水事業に多大な功績を残した成富兵庫茂安公を合祀しています。茂安公は龍造寺家家臣、成富信種の次男として現在の佐賀市鍋島町増田で生まれました。
若い頃は勇猛果敢な肥前武者として広く名が知られており、豊臣秀吉、福島正則、浅野長政、藤堂高虎、黒田如水らそうそうたる戦国武将が文献の中で茂安公を褒め称えています。
白石神社宝物館
白石神社宝物館にある、走破焼の流れを汲んだ一対の三月堂形の磁製灯ろうは、高さ225cm、幅60cmの巨大なものです。明治18年(1885年)、「五十崎芳太郎作」と銘記されていて、宝珠、宝珠台、笠、火袋中台、台座、基礎台からなり、生きているように灯篭にまつわりつく龍の象がんなど、美術的に焼成された逸品で、町の重要文化財に指定されています。