江口地先の荒籠1〜5  みやき町江口 ( 佐賀県 )

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江口地先の荒籠1〜5  みやき町江口

サイト「近世以前の土木・産業遺産」佐賀県リストによるデータは、次のとおり。国道264号沿い筑後大堰の下流側がみやき町江口となるが、荒籠らしいのは詳しく調査しなく不明だった。付近の状況写真のみ載せる。筑後川河川事務所の文献・写真で位置確認が必要だろう。

江口地先の荒籠1 えぐち
(三養基)みやき町 筑後川(右岸) 石水制 長約35m 江戸中期 筑後川河川事務所 保存状態良好 筑後川の荒籠群(小型) 2 –

江口地先の荒籠2 えぐち
(三養基)みやき町 筑後川(右岸) 石水制 長約19m 江戸中期 筑後川河川事務所 保存状態良好 筑後川の荒籠群(小型) 2 –

江口地先の荒籠3 えぐち
(三養基)みやき町 筑後川(右岸) 石水制 長約25m 江戸中期 筑後川河川事務所 保存状態良好 筑後川の荒籠群(小型) 2 –

江口地先の荒籠4 えぐち
(三養基)みやき町 筑後川(右岸) 石水制 長約19m 江戸中期 筑後川河川事務所 保存状態良好 筑後川の荒籠群(小型) 2 –

江口地先の荒籠5 えぐち
(三養基)みやき町 筑後川(右岸) 石水制 長約90m(うち、70mが堤防上) 江戸中期 筑後川河川事務所 保存状態良好 筑後川の荒籠群(中型) 2 C

なお、HP「筑後川 治水事業の歴史1(明治維新前)」には、次の説明がある。
http://www.qsr.mlit.go.jp/chikugo/kizon/chikugo/histry1.html

江戸時代においても筑後川の舟運は盛んであり、干満を利用してかなりの舟が江口(現北茂安町、河口より20km)まで遡航し貿易を行なっていた。そこで、舟運の水深を維持するために、慶長年間、徳川幕府の中期(1700年)頃、両岸から河心におよぶ荒籠(長大なT型の透過水制)が随所につくられ、その一部は今なお当時の姿を残している。

当時の築堤概要について「石原家記」に「大川筋御領分村々で、荒籠23ヶ所、水刎3ヶ所ご座候」と、久留米領の荒籠の数が記され、享保元年(1716年)6月、小森野荒籠竣功の記事がある。また、久留米から河口に至る「肥前の荒籠数は15ヶ所」であったこともあわせて明記されている。