七葉迫の堤  長与町平木場郷 ( 長崎県 )

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七葉迫の堤  長与町平木場郷

平木場郷の「七葉迫の堤」、次の「藤の棟堤」の場所は、所在地図のとおり。七葉迫の堤の築堤記念碑は、池に向かって堰堤右側のすぐ道脇上の木立内(黄囲線)に立つ。正面は大きな字で「水神」と刻む。隧道がこの横のコンクリート水路か?。
サイト「近世以前の土木・産業遺産」長崎県リストによるデータは、次のとおり。

七葉迫の堤 ななはさこ
(西彼杵)長与町 溜池 慶応2(1866) 長与町郷土誌・上 p517-518 横平地区の水不足解消のために築造 –

長与町教育委員会編「長与町郷土誌・上巻」平成6年発行のその他の古跡517〜518頁による説明は、次のとおり。

七葉迫の堤と築堤碑
平木場郷七葉迫にある大きな堤がある。現在の洗切小学校より東北の方、学校を近距離に望むことができる。ここは文久3年(1863)12月造成に着手し、2年8か月の歳月を費し慶応2年(1866)8月に完成したもので、当時としては大事業であった。堤の池に向って右側の小高い丘に築堤記念碑かが隠れるように立っている。その碑から次のような刻字が読みとれる。
碑文 文久亥十二月
慶応二寅 八月成就
出夫  二九、五三九人
内   二七、一四三人三合 長与村
四三八人    伊木力村
五五六人四合 浦上村
九三五人一合 時津村
四六六人二合 東高田村
この碑文からもわかるように、工事は地元の人々だけの労力ではなく、近郷近在の人々の労力提供もあって完成している。
当時、横平一帯の農民は水不足に悩み、水げんかが絶えなかったといわれるだけに、この堤の完成には関係者のなみなみならぬ期待と、ひとかたならぬ努力のあとがしのばれる。それにしてもこの労役はまた、農民たちにとって極めて過酷なものであったろうことも同時に推察される。
その後長年月のうちに、水もれ等で隧道新設工事の必要に迫られるようになったが、戦争や水利権の問題などで容易に実現せず、ようやく昭和29年に至り、野中市五郎氏を中心とした地元関係者の熱意もあって新設隧道工事に着手、半年を経て立派な隧道が完成した。
この間、工事が南行したが、野中氏の私財を投じての工事完遂のことなどその苦労が今も伝えられている。