鹿児島県のアーチ式石橋 毘沙門橋梁  日置市日吉町日置 毘沙門

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鹿児島県のアーチ式石橋 毘沙門橋梁  日置市日吉町日置 毘沙門

HP「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」鹿児島県の石橋によるデータは、次のとおり。後ろは毘沙門天の史跡写真。

№6,785  毘沙門橋梁

日置市日吉町日置 毘沙門
橋幅:27.0m  径間:1.2m  拱矢:0.6m  基礎4段H:1.3m
架設:大正3年(1914)
鹿児島交通枕崎線(南薩線)跡 1984年廃止

毘沙門天への途中に煉瓦アーチ、何故こんなところに
1984年に廃止された鹿児島交通枕崎線(南薩線)跡のようです。
遺構は吹上町の浜田橋下流の橋脚など。

毘沙門天
「寿永文治年間伊集院に壱宇治城を築き権勢をふるっていた時の郡司・紀時清公(藤原氏支族)は城の守り本尊として本丸に毘沙門天、観音、春日明神薬師如来などを安置して、四方を守護していた。紀氏は伊集院氏に追い払われ、やがて戦国末期の天文十九年(1550年)に島津貴久が父日新公と共にこの城を攻め落とした。その時、貴久は毘沙門天を日置の五丁田へ遷座し、後現在地に移し祭られるようになったが、その年代は不明である。」      昭和六十年三月  日置市教育委員会