久見崎軍港跡  薩摩川内市久見崎町

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久見崎軍港跡  薩摩川内市久見崎町

現地説明板は、次のとおり。川内河口大橋近く。

久見崎軍港跡
薩摩川内市教育委員会  管理者 薩摩川内市

ここは、藩政時代における薩摩藩の軍港で、船手やドックを備えた造船所があった。
船手は藩の直轄で、藩船の造修・管理・交通運搬の取締り、唐船に関する業務のほか、海路による参勤交代の御座船の出入りなどを任務としていた。
戊辰の役に活躍した春日丸はこの久見崎で造られたものである。慶長2年(1597)、秀吉の第二次朝鮮出兵(慶長の役)にあたり、島津義弘1万人、豊久800人の大船団がこの久見崎を出港し、秀吉の死によって翌3年大方の島津勢は再び久見崎港に帰着した模様である。
なお、造船所の大工頭をつとめた樗木(おてき)氏宅に保存されていた大量の造船関係文書などは、藩政時代の造船資料として極めて重要なもので、現在川内歴史資料館が所蔵している。
平成12年3月