金比羅スギ  南小国町満願寺 

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金比羅スギ  南小国町満願寺 

HP「全国巨樹探訪記」熊本県による説明は、次のとおり。
地蔵堂の所に「満願寺地区遊歩道」の地図があり、霊場巡りコースにより山の上の金比羅スギまで行く。登りはきつく、一周には1時間30分を要する。草刈していないときは遊きにくい。

名称 金比羅スギ (こんぴらすぎ)
名称の典拠 現地の案内板(注1)
樹種 スギ
樹高 28m(注2)
目通り幹囲 12.4m(注2)
推定樹齢 1000年(注3)
所在地の地名 熊本県阿蘇郡南小国町満願寺
国指定天然記念物(1959年7月24日指定)

注1)1991年3月に熊本県教育委員会が設置。国の天然記念物指定名称も同じ。ただし地元では「金毘羅杉」の文字をあてているようだ
注2)環境庁「日本の巨樹・巨木林 九州・沖縄版」による
注3)上記案内板による

南小国町役場から、県道40号(南小国波野線)を南東方向に3.5kmほど進んだところに満願寺集落がある。集落の名は、文永11年(1274)、元寇を迎え撃つため、時の鎮西奉行北條時定が建立して戦勝を祈願した立護山満願寺にちなむ。また、満願寺には、海上航行の安全を祈願して、金比羅権現が祀られた。以来、満願寺の北に聳える山は、権現山と呼ばれるようになった。権現山中腹のこのスギも、周囲に知られる巨木となるに至って、金比羅杉と名付けられたのだろうと思われる。

集落のほぼ中央に、来訪者のための無料駐車場があり、そこに簡単な観光案内図が掲示されている。金比羅スギの位置も記されている。駐車場から川の対岸に渡り、県史跡の「満願寺石塔群付杉群」の前を通って山道に入る。3基の石塔は、満願寺開基の北條時定(執権北条時頼の弟)と、その弟定宗、及び嫡子随時の墓である。かつてはここも満願寺の境内だったのだ。墓の周囲に立つ大杉も史跡の一部として保護されている。

頭に入れた概略ルートと、ところどころに設置された案内表示(朽ちかけていた)を頼りに登ってゆく。途中、青龍権現社の前を通り(ここにも大杉がある)、息が切れかかる頃、金比羅スギに着く。途中休憩もせず、道を間違えなければ、下から15分くらいだろうか。目通り10mを超す体躯はさすがに大きい。が、樹勢の衰えが目立つようだ。
元禄年間(1688〜1704)の落雷で幹が裂けた。さらに昭和4年(1929)7月15日にも被雷した。このときは火災が発生、地元消防団などが消火にあたったが、鎮火までに19時間もかかったという。平成3年(1992)には、台風により、多くの元気な枝を失った。

長い時間を平穏無事のまま過ごすことは難しい。満身創痍は巨木の勲章なのかも知れない。しかし、過去の写真と比べて、ちょっと寂しい現況である。平成4年(1992)には腐食防止措置などもとられ、樹勢回復が期待されていたのだが。