ダイヤランドの開発前と下方の道の地図資料・写真はないか

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ダイヤランドの開発前と下方の道の地図資料・写真はないか

小ヶ倉源右衛門茶屋から土井首大山祗神社前までの区間の道の状況は、次の地図資料によって第1集から説明している。
① 文久 元年(1861)「彼杵郡深堀郷図 深堀本村・小ヶ倉村・土井首村・大籠村・竿浦村」      長崎;歴史文化博物館蔵
② 明治34年(1901)「国土地理院旧版地図」 〔大日本帝国陸地測量部作製〕

ダイヤランドは広大な団地開発が昭和56年起工し、昭和59年4月から販売を開始した。当時の道跡はたどれない。長崎バス終点下に山道が残る。この下方の道は、実際に歩いて異論を感じる方もおられるかも知れない。
今回はそのため前の2資料と別に、手元に持っている次の2地図資料を掲載してみる。説明は省略したい。よく見ていただきたい。どの地図を見ても、今歩いている道しか考えられない。この道は6年ほど前、地元の磯道中山秀雄氏が「殿様道」と中島先生へ教えてくれた道である。④による「市道磯道第7号線」となる。
③ 明治17年(1884)測図同27年製版 軍事機密 長崎近傍ノ六 陸地測量部「深堀村」
④ 昭和25年(1950)3月測図 昭和44年5月印刷 中庭測量株式会社調製
長崎市 1:10000 都市計画図「長崎市認定道路網図(茂木〜小ケ倉、土井首地区)」

なお、ダイヤランド地域全体の開発前の姿を写した航空写真は、先項において小ヶ倉小学校創立百周年記念誌「小ヶ倉のあゆみ」(昭和53年)から載せていたが、今回また貴重な写真が見つかった。
ダイヤランド3丁目山下雄氏の協力によるもの。同団地2丁目自治会が2年前発行した会報に、昭和56年(1981)3月(着工前)の詳細な航空写真があった。また、同氏は当時、自分が写した2枚の写真を所持されていたので、ここに載せてみる。