伊王島と沖之島の台場跡  長崎市伊王島町

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

伊王島と沖之島の台場跡  長崎市伊王島町

伊王島町教育委員会編「伊王島町郷土誌」昭和47年発行の関係部分写しは、上記のとおり。
現在の写真は、伊王島「円通庵下台場」(円通寺上台場ないし船津夏ノ上台場のことか)の判読不能説明板。現地は、円通寺本堂すぐ背後の高台にあり、古い石垣が少し確認できる。
沖之島には、「観音崎台場」があったようだが、これも今はすでに跡かたもなくなっている。

第3章伊王島の歴史 126頁
伊王島の台場はフェートン号事件直後(文化6年)いわゆる新台場として、野母、高浜、川原、椛島、高島、伊王島、沖之島、神ノ島の各海岸に新築したもので、このときの場所は、沖之島観音崎、船津夏ノ上、大明寺干場、中ノ田、出鼻(真鼻又は灯台鼻という)の5ケ所である。
(文化6=1809 嘉永4〜5=1851.8〜1852春)

佐賀藩兵を配備。伊王島に5万石、沖之島に2万石の蓮池や多久、武雄の小藩が6ケ月及至3ケ月づつ勤番していたことは如何に伊王島が重要視されていたことがわかる。(120頁)

第10章 史跡・名勝 471頁
33 円通寺上台場
通称夏ノ上台場といわれ、四郎ケ島、神之島に対して重要の堡塁であり、大モチール砲もここの据えつけられたのではないかと思われる。石垣の石も殆んど持ち去られて耕地となっている。当時は80ポンド砲まで据えつけ完備していた。
34観音崎台場
これは寛永4年の図にあるが、今はすでに跡かたもなくなっている。

(2015年6月25日 追 記)
入江氏から「以前作成していた伊王島の台場地図に若干、手を加えた地図を送ります」とのことで、この地図を追加する。