高浜延命水の水場とはどこか 野中の一本松はどんな松だったか

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高浜延命水の水場とはどこか 野中の一本松はどんな松だったか

尻喰坂を越し以下宿の南谷を上ってきた「岳路みさき道」との合流点でもある現在の町道の付け替え地点(小さなアンテナ塔がある)から300mほど行くと、植林の谷筋から水が流れ、かたわらに地蔵尊が祀ってある。
自然石の大きな碑があり、「奉供延命水」「安政四丁巳年仲秋吉祥日 長崎今下町施主中尾民助 高浜村」とある。道中の格好の水場であったろう。しかし、今は上がゴルフ場となっているため沸かして飲むよう注意書きがある。

この側に「野中の一本松」と言われる松があった。高さ20mもあり、根元に大きな空洞があったとして、次のとおり「のもざき漫歩」でおもしろい民話が創られているが、松の木はあまり考えられない。戦後、松ヤ二採取で枯れたという。

野母崎町・野母崎町教育委員会「のもざき漫歩」平成5年から
6 野中の一本松
現在、毛首の集落から東北の方向に三百メートル程へだてたところに『野中』という字があります。そこは徳道を経て三和町川原の方へ通じる道がひらけています。その途中に大きな松の木が一本あったことから『野中の一本松』と、いつのころからか村人は呼んでいたそうです。
それはそれは大きいばかりでなく、枝振りの美しさも他に類を見ない松でした。てっぺんまでの高さは二十メートル、周りが十五、六メートルもあったろうといわれています。まして、この木の近くに混々(滾々が正)と清水が湧き出て、通行人は言うまでもなく、当時黒浜、以下宿から本村の学校へ通う子供たちの憩いの場所でもありました。…
この松の木の近くに、白いコケでおおわれた石碑が建っていますが、さらにそばにはお地蔵さまが祭られてあります。この松と碑とお地蔵さまの三体には何か因果関係があるのではないかと思われます。しかし、現在では巨木はなく地蔵さまと碑が、むかしの物語を秘めて、語ることもなく残っているだけであります。