大正十一年頃のガラス写真 222 岩屋山

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大正十一年頃のガラス写真 222 岩屋山

「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

「大正十一年頃のガラス写真」
222  (岩屋山)

■ 確認結果

「ガラス写真」とは、感光する写真乳剤を塗ったガラス板を写真機にセットして撮影した後、乾板をもとに写真を焼き付ける。フィルムが普及する前の明治から昭和にかけてよく使われた(朝日新聞キーワード解説)。
スタジオアートアイ制作CD「大正十一年頃のガラス写真」は、長崎を撮影していると思われる
308枚の写真。整理番号のみで、撮影地はまったくわからない。心当たりの場所を探してみる。

整理番号222は、背景に長崎市北部の山「岩屋山」(標高475.2m)が写っている。
山の稜線の重なりから撮影地を探すと、現在の長崎市竹の久保町「長崎県立長崎西高等学校」のグランド高台からと思われる。
現在の写真は、グランド裏門からフェンスを少し西側へ行った、岩屋山の見通しの良い場所から確認した。

この地は、1923年(大正12年)4月1日「長崎県立瓊浦中学校」が開校。竹ノ久保の元長崎重砲兵大隊兵舎を仮校舎とした。原爆により全壊。学制改革などあった。
1950年(昭和25年)7月「長崎県立長崎西高等学校」が長崎市竹の久保町(旧・長崎県立瓊浦中学校跡)に木造校舎を新築し、鳴滝から移転した(ウィキペディア沿革)。
私の母校で景色を思い出した。古写真に写る対面木立の中の大きな建物(現岩見町あたり)がどこだったか、ご存知の方は知らせてほしい。