蚊焼茶屋の推定地点から、相撲灘の大角力・小角力が見えたか
関寛斎日記は、蚊焼茶屋で休憩しこの場所から、「西北ハ港内二テ其ノ西岸ハ遥ヘ絶ヘ高野木嶋 マゴメ嶋 硫黄嶋 高嶋 遥二松嶋ノ瀬戸(高サ五六間)見ユル 之レヲ相撲ノ瀬ト云フ」と記している。「(高サ五六間)」の部分に、大角力・小角力と間違いない2つの岩礁の図を書いている。その説明が高さであろう。
蚊焼茶屋の推定地点から、はたして相撲灘の大角力・小角力が見えただろうか。蚊焼茶屋は字古茶屋の一番端の方で、港外諸島の展望と清水が水脈を変えて今も流れていることにより、旧蚊焼峠と思われる入口の蚊焼山村氏の畑地あたりと推定した。
しかし、展望は私たちと山村氏の完全な思い込み違いであった。相撲灘の大角力・小角力は、五島まで見える晴れた日でないとなかなか確認できない。そんな日はめったにない。こちらの方から見ると、大角力は池島の右沖となる。伊王島の馬込島が邪魔して、池島さえどうしても見えないのである。
海図に線を引いた別図を掲げたが、地図上でもそうなる。峠の先の方まで行くと見えると思われる。蚊焼茶屋はこの地点しか考えられないのに、関寛斎がなぜ2つの岩礁を文中に描いたか。望遠鏡を使っても同じであろう。これは芦屋市平氏の質問から、実際に実見してみた結果である。
ただ、日記の文は途中に段落の「○」があり、必ずしも蚊焼茶屋からの展望と言えない。茶屋から見る港内及び沖の諸島の光景は、そんなに良いものでない。現在休憩用のベンチを設置している見晴らし地点あたりまで区間を解釈してよいとも思われる。
(大角力・小角力の夕日画像は、長崎市HPから)