深堀城山中腹に残る横堀の陣地  長崎市大籠町・平山町

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深堀城山中腹に残る横堀の陣地  長崎市大籠町・平山町

中世の山城跡「深堀城山」(標高350.4m)のミステリー。前記事により平山町から登った尾根道ピークに、石英の石積み「角石」があることを記した。ここからまだ少し登って行く。
長崎県林業公社植林地となり明確な道は途切れるので、右側の尾根に入るとその途中に、岩面を掘った小規模な横堀(所在図のB)と出会う。これは一体何なんだろうか。

「景観まちづくりトーク&ウォーク 俵石城の縄張り構造と深堀氏」が、2月24日開催された。講師木島先生(九州大学)の配布資料「俵石城縄張り図」によると、深堀城山には山頂近くに8本の畝状堅堀群しか表示されていなかった。
この項は、本ブログ次を参照。  https://misakimichi.com/archives/3601

そのため質問したが、善長カトリック墓地下の山中に長さ100mくらいの横堀(所在図のA)を、私は以前から見ている。木島先生へ画像を送ると「写真で見る限りでは、周辺の木の大きさ,断面形状から掘り抜いた道か、水路と考えられる。実際の場所が分からないので、地図等で指示してもらえると助かる」とのことであった。
先生には航空写真地図を送り、話のタネとして再訪の際、確認してもらうようお願いした。

善長墓地下の横堀A(写真1〜2)は、戦時中に掘られたらしいことは、以前から何となく聞いていた。今回、平山側に同じような横堀B(写真3)があることがわかり、はっきりしてきた。
地元平山町の人に聞くと、この横堀は、終戦近く敵アメリカ軍の九州本土侵攻に備えた射撃陣地の壕という。出っ張りが各所にある。昔から攻撃の方向は変らない。
横堀Aと横堀Bが続いているかは、確認していない。いずれにしても、標高が同じくらいの中腹。深堀城山の主な登山道の途中にある。橘湾沿岸の戦争遺跡であろう。書庫はこれに入れる。