「戸町カルルス」とは、どんなところだったか
「みさき道」は、二本松山中の道塚から下道へ下る。弁慶橋のガード下をくぐり、小が倉バイパスの「弁慶岩」バス停に出、戸町の谷へ下ると「戸町カルルス」の跡あたりを行く。
「温泉はチェコスロバキアのカルルスバート(カルロビ・バリ)の鉱泉を結晶させた薬品、カルルス水を沸かしたことからカルルス温泉と呼ばれた。戸町カルルスは、玉蝉園とも称した。明治34年頃、戸町の藤田東三郎・東人親子が開設、敷地は約1,000坪で、4・5月は藤や菖蒲、9、10月は萩や楓で賑わったという。園内には温泉場があり、中川カルルスに対して戸町カルルスと呼ばれた。」(市立博物館刊「長崎の史跡」南部編から。古写真は長崎大学附属図書館所蔵分)
この上手の竹林に由緒ある井戸が残る。水はパイプで戸町海岸の製氷工場へ送られていたらしい。やがて戸町の一方通行交差点と出合い、戸町中学校の方へ向けてバス道を行く。少し手前から左へ石段を上がると墓地があり、中学校前へ達する。