長崎外の古写真考 目録番号: 382 東京の道路

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長崎外の幕末・明治期古写真考 目録番号: 382 東京の道路

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。

目録番号: 382 東京の道路
〔画像解説〕
英語で「東京」という解説だけである。

明治の東京写真 丸の内・神田・日本橋
22頁  F08 吹上御苑を囲む段堀
〔画像解説〕
吹上御苑の西側と北側の内堀(半蔵門と千鳥ヶ淵)には、その内側にもう一筋、半蔵門から三日月堀まで段堀がめぐらされていた。正徳年間(1711〜1716)に掘られたらしい。写真は北側の段堀で代官町の側から西に向かって写したもの。明治10年頃か。C

■ 確認結果

目録番号: 382「東京の道路」は、英語で「東京」という解説だけである。
石黒敬章著「明治の東京写真 丸の内・神田・日本橋」角川学芸出版平成23年発行の22頁「F08 吹上御苑を囲む段堀」に掲載がある同段堀周りの直線部分の道路を、逆向きに撮影しているのではないか。

これだけの同じような長い赤レンガ塀囲みの内部は、「吹上御苑」が十分考えられる。堀の幅が狭いのは、内堀(半蔵門と千鳥ヶ淵)の内側にもう一筋、めぐらされていた「半蔵門から三日月堀までの段堀」のためだろう。
道路は広いが舗装がなく、車の多く通るような道ではない。橋が架かった入り口門もあり、場所特定を地元にお願いしたい。