長崎外の幕末・明治期古写真考 写真の幕あけ 114 僧侶の式典
HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。長崎以外の気付いた作品も取り上げる。
日本写真全集 1 写真の幕あけ
98.99頁 114 僧侶の式典 撮影者不詳 明治中期 鶏卵紙に着色 四切
〔画像解説〕
坂を歩いてくる僧侶の行列と群集を高い位置から撮影し、群集がかもしだす独特の臨場感を写しとっている。写されることを意識してか、一様に静止し、全員カメラの方を見ている様子がわかる。僧侶のカラフルな盛装にくらべ、それをとり囲む庶民の服装の質素さが、当時の生活の様子を伝えている。
目録番号:1764 大法要の人出
〔画像解説〕
大規模な法要である。中央に2列に並んだ僧侶の長い列が続く。周囲に溢れた人々がひしめいている。
■ 確認結果
「日本写真全集 1 写真の幕あけ」小学館昭和60年発行の98.99頁にある「114 僧侶の式典」は、何の式典ないし法要かわからない。
データベースの目録番号:1764「大法要の人出」も、同じである。撮影者は「鈴木真一」か。
これは、東京の池上本門寺で明治14年に行われた、「日蓮入滅後600年遠忌」の模様だと言われる。
石黒敬章編「明治・大正・昭和 東京写真大集成」新潮社2001年刊の285頁に、次のとおり解説している。HP「石黒コレクション」にも同じ写真が掲載されている。
【日蓮上人遠忌】Ⅱ16−13
本門寺は日蓮宗開祖日蓮の入滅の地である。日蓮は療養のため身延山を出立し常陸へ向かう途次、池上の領主で本門寺の創立者でもある池上宗仲の屋敷で、弘安5年(1282)10月13日に入滅。この写真は明治14年に池上本門寺で行われた、日蓮入滅後600年遠忌の模様だと言われる。
多くの僧侶と見物人が写っている。明治14年は日本に乾板はまだ伝わっていないので、湿板写真法で撮られた筈だ。しかし、これ程多くの人がいて、殆どブレていないのが不思議だ。写真師は不詳だが、相当の技術をもった人に違いない。場所は、経蔵背後の古くからある車坂だろうか。六切大。〔Y〕
この項は、本ブログ次を参照。 https://misakimichi.com/archives/2664