長崎の古写真考 目録番号:3554 長崎の民家と温室 ほか

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長崎の幕末・明治期古写真考 目録番号:3554 長崎の民家と温室 ほか

HP「長崎大学附属図書館 幕末・明治期日本古写真メタデータ・データベース」などに収録している長崎の古写真について、撮影場所などタイトルや説明文に疑問があるものを、現地へ出かけて調査するようにしている。順不同。

目録番号:3554 長崎の民家と温室

目録番号:3555 温室と男性たち(1)
〔画像解説〕
農業試験所あるいは薬草園の温室か。ペンキで塗った木造でガラス張りの真新しい建物である。男たち二人はここの研究員もしくは管理者であろうか。休日らしい出で立ちに見うけられる。

目録番号:3565 温室と男性たち(2)
〔画像解説〕
農業試験所あるいは薬草園の温室か。ペンキで塗った木造でガラス張りの真新しい建物である。男たち二人はここの研究員もしくは管理者であろうか。休日らしい出で立ちに見うけられる。

目録番号:3566 長崎の民家と男性たち
〔画像解説〕
田圃のある郊外の大きな民家の前に二人の男性が映っている。長いレンガ塀、入母屋造りの大屋根、ガラス窓など新しい造りの家屋。すでに電信柱が縦横に見えており、大正時代の撮影か。

■ 確認結果

目録番号:3554「長崎の民家と温室」など4作品は、一連作品で、ほぼ同じところを同じ時期に撮影されたと思われる。
考えられるのは、現在の長崎市中川町(新中川町?)に、明治31年(1898)開設された最初の長崎県農事試験場の風景である。

長崎年表HPの記事は、次のとおり。
▼1893(明治26)【明治】 癸巳(みずのとみ)
04/01★長崎電灯株式会社が開業。長崎市内に初めて電燈がつく
68戸に供給、取付け灯数129灯、うちアーク灯9灯
04/ ★長崎電灯会社の開設により長崎公園園内の照明が石油ランプから電燈に切り替えられる
▼1898(明治31)【明治】 戊戌(つちのえいぬ)
★長崎市中川町に農事試験場開設。長崎ハクサイの早生・晩生の2系統を選抜

長崎県総合農林試験場の沿革は、次のとおり。
明治31年 4月 長崎市中川町(現在)に農事試験場を創設. 大正 9年 8月 諌早市永昌町(現在)に移転。

長崎おもしろ草第5巻「越中哲也の長崎ひとりあるき」12頁は、次のとおり。
…明治になって、この敷地(注 桜馬場の旧長崎村庄屋職森田屋敷。現在の桜馬場中学校の地)は榎津町の質商赤瀬氏の所有となり更に長崎県の所有となった。
県は最初、ここに農事試験場を設けたが、のち、この試験場を現在の蛍茶屋の電車終点の右手に移し、明治22年、この地に県立師範学校を立山から移転し、その付属小学校も同24年より併せて開校した。…

これらの資料から推定できるのは、明治31年(1898)4月、最初に創設された「長崎県農事試験場」が、現在の長崎市中川町(新中川町?)にあった。電灯もすでについていたのである。

目録番号:3554「長崎の民家と温室」の背景となる景色を探すと、新中川町電停近く中島川に沿った「丸川公園」あたりから同じ地形が望まれる。
左側の小高い丘には、現在、長崎市立伊良林小学校グランド上に、瓊浦高等学校の校舎が建つ。中央右に遠く覗く山は、そこから続いた奥の風頭山頂の岩と思われる。
「伊良林尋常小学校」の開校は、明治35年(1902)8月17日である。

明治34年測図国土地理院旧版地図によると、広い土地で市中から里道が外周を通る。このあたり一帯が農事試験場の敷地だったと思われる。
現在の中之橋近くにあった建物と温室を、中島川対岸の少し高い位置から撮影したのではないだろうか。